案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年10月1日火曜日

今日の多摩湖線

久しぶりに多摩湖線をのぞいてみるとカラーリングが様々。
国分寺駅の北口も大きく変わった。


国分寺駅北方の何気ない夕方。 一橋学園-国分寺

 一橋学園-国分寺

①番線、③番線の多摩湖線。 萩山

1964年の萩山。1964.4.26

西武遊園地行。 萩山

萩山で拝島線を降りて国分寺行きに乗り換える時、①番線or③番線どちらで乗るか迷う多摩湖線。

8 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

カラフルお電車もですが、線路フェチとしては萩山のプチ鬼線路と絡めて出撃してみたいですね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
萩山の線路はいいですね。
多摩湖線のカラーリングは以前の真っ白よりだいぶマシになったのですが、
何となく地方に払い下げられた101系みたいでした。
私は昔の西武の赤電カラーはよく知らないのですが、
多摩川線のリバイバルカラー赤電はとてもいいですね。

石鉄 さんのコメント...

昔々の鉄道ピクトリアル誌に「ちび助力走」という萩山付近の田舎線路をW屋根の木造4輪単車がポールを振りかざして快走している写真が掲載されていました。

確かコンクールの写真だったかと記憶しているのですが、その後萩山と聞くとこの写真を思い出してしまいます。

でもこの現在の写真を拝見すると、あまりにも風景がイメージとは違うので私の記憶違いかもしれません。

katsu さんのコメント...

石鉄さん
私も多摩湖線と言えばそのような単車をイメージして初めて訪問したのが50年くらい昔でした。
しかし多摩湖線線に楽しい車両が様々走っていた時代はとっくに終わっていました。
その後は何の変哲もない電車が走っています。
本線と違って4両編成でのんびり走るところが今の多摩湖線の魅力かなと思っています。

transit さんのコメント...

katsu様
 萩山で撮影された近江色251fの写真、背後にかつてあった内閣府萩山住宅に代わりもう新しい建物が出来たのですね。
国分寺北口はすっかり印象が変わりましたが、沿線は大きな変化は見られず学園西町交番向かいの大村メガネ時計店の看板には日立武蔵工場指定店の文字が残されています。
 一時は白一色ばかりであった101系も,ほぼ全てカラフルに塗色変更され白編成は257fを残すのみとなってしまったようですね。

katsu さんのコメント...

transitさん
あの建物はそうだったのですか。
しばらく来ないうちにいろいろ変化があるものですね。
ストリートビューで大村メガネ店の看板見てみましたが確かに表示がありました。
この交差点はその先の店までよく通りました。もう7、8年昔のことですが。
先日は多摩湖線の名物263Fを見かけなかったのですが、たまたまかもしれません。

Unknown さんのコメント...

いつも楽しく拝見しております。初めてコメントさせていただきます。
先日、Youtubeで昭和41年の東急大井町線二子玉川駅周辺の動画を見つけました。
このブログのテーマと重なる映像ですので
是非ご覧ください。
https://youtu.be/TiIr2qiitk0?t=488

katsu さんのコメント...

匿名さん
Youtubeの紹介ありがとうございました。
昭和41年の二子玉川駅の状況がよく分かる動画でした。

ところでこの動画の出所からは1950年代から日本全国津々浦々の
地方私鉄を撮りまくった感じでFBでもよく話題になって投稿されていました。