案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年8月4日土曜日

常磐線 四ッ倉にまつわる話。

四ッ倉を訪問したのは1963年の秋だった。
この頃の常磐線にはあの有名なC62牽引の特急「ゆうづる」はまだ登場してなかった。
C62「ゆうづる」と言えばストロボ撮影で有名な田澤氏、彼はこの頃1/80 13mmと10.5mmナローをやっていた。

四ッ倉の古典ロコ600形を教えてくれたのが、この頃アルバイト先の福島模型で一緒だった慶応の小川氏であった。
彼は盛んに磐越東線D60に通い詰めていて、私は彼の撮影旅行の徹底ぶりにかなり影響を受けた。地方私鉄めぐりも彼の徹底したやり方で旅をしようと。
この頃、彼は確か1/80で四ッ倉600形を作っていたが、その後、Nゲージに転向しスクラッチビルドで古典蒸機専門に製作を続けているようだ。
福島模型のアルバイトでは田辺さんも一緒であった。ちょうど東京オリンピックの工事が盛んな頃で武道館や科学技術館が工事真っ盛りであった。

 撮影:1963.9.29
四ッ倉の駅前。 海に向かって道路が延び駅前には旅館があった。  

磐城セメント四ッ倉のナスミス・ウィルソン社製600形の脇を常磐線が走る。

磐城セメント四ッ倉工場の600形。

常磐線 C62が牽く各停列車。四ッ倉

丘に登り海を眺める。

近くで行われていた四ッ倉の葬儀風景。

気動車特急「はつかり」 四ツ倉から北は架線がなくすっきりしていた。

1965年に登場したC62特急「ゆうづる」 1966.8.9  撮影:田辺多知夫

C62特急「ゆうづる」 末続あたりか?   1966.5.4 撮影:田辺多知夫

6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

風間様 お久しぶりです。
以前に1/80四日市の大人と子供の写真をお送りした者です。また明治神宮にてN物産さんと共に打ち合わせもさせていただいています。
 ところで質問ですが、田沢さんが13mmをしていたとの記述が有りますが、田沢さんは模型クラブで有る「東京HOクラブ」に所属されていたのかご存じでしょうか。
実は量産(2000本)第一号の13mm車軸は東京HOクラブ会員が作らせたとの話があり、田沢さんが所属されていたなら田沢さんが発注者の可能性もありうるからです。
御返事よろしくお願いします。
適当な名前が浮かばないので匿名にしてあります。

katsu さんのコメント...

お久しぶりです。
明治神宮でお会いし、その後1/80ナロー運転会をやったのが2014年秋であれから4年ですね。
お名前は分かるのにハンドルネームが思い出せません。
その後、1/80ナローの製作は如何ですか。
今も毎日あの時のナロー作品の写真を眺めさせてもらっています。

田沢さんが東京HOクラブに所属されていたかは分かりませんが、
13mm車軸の件、私は田沢さんがカワイに発注したという認識でした。
私にも勧められ茶封筒2袋位買いましたが行方不明になってしまい惜しいことをしました。
当時、交通博物館のHO運転会の隅で田沢さんが13mmゲージでエンドレスを走らせていました。

匿名 さんのコメント...

ご回答有り難うございます。
1/80ナローは現在も各種キットを組んでいますし、猫屋線も手がけています。
更に某氏が真鍮製の1/80草軽デキの発売を目論んでいるので期待しているところであり、某氏の希望によりサンプルとして、1960年代に天賞堂が某団体の依頼により受注生産した1/80デキ用の屋根板部品を渡してあります。
 今年のJAMでは当方の所属するクラブが出展するので、各種1/80車輌展示で調整中です。

量産第一号車軸はカワイ製で正解で、発注企画者は長谷川氏で同調者を探して二名で発注したとのこと(長谷川氏談)。長谷川氏は明かさないのですが同調者は田沢一郎氏でほぼ確定ですね。
茶封筒、出てきたら分けて下さい。 

katsu さんのコメント...

匿名さん
今年のJAMは行きます。
所属するクラブとは1/80 13mmですか。
展示ブースに寄らせてもらいます。

N品川線 さんのコメント...

風間様
HNは「N品川線」と致しました
御察しの通り1/80 13mmブースでして、狭いので運転はせず並べるだけです。
当方の稚拙車輌は並べるだけだとアラが丸見えで痛し痒しです。
お越しをお待ちしております。よろしく。




katsu さんのコメント...

N品川さん
8月18日は13mmブースで素晴らしい作品群を撮影させてください。