原型モニ1形(1927年製)は4両いてモニ1形の3、4はモユニ1形に改造され、その後改番でデユニ1000形となった。これが1960(昭35)年まで活躍していたデユニ1000形(モニ1型の全長大きくした)であった。
私が撮り始めた1962(昭和37)年は、デユニ1000形は既に元井の頭線の車体に載せ換えられてすっかりイメージが変わっていた。
それにしても小田急の荷物車の遍歴は大変にややこしい。この頃はさらに1100改造のデニ1101もいた。
むーさんから画像をお借りしました。モニ1形のイメージを残す車体載せ換え前のデユニ1002. 昭和35年6月 小田原駅.この数か月後に車体載せ替えが行われたのですね。
1500形(元井の頭線)の車体に交換されたデユニ1001. 経堂車庫 1962年春
10年前にスキャンした画像.
以下は昨日再スキャンした画像で、どうやらビネガーシンドロームなしネガでも画質の劣化が進んでいるようだ。それより、視力の劣化の方が問題で果たしていつまでこんな判別ができることやら。
同形デユニ1002と手をつないだ前は1100改造のデニ1101. 喜多見-成城 1962年秋
6 件のコメント:
しばらくぶりでした。
60年代といっても、やっぱり東京は違うなぁ、と感じました。
成人するまで金沢にいたもので、小田急とか東急とかの名前だけでも都会的に聞こえたものです。
田舎の電車と違って、最新の電車が使われていただろうし、写真を拝見しても、ピカピカした印象ですね。
田舎者は、東京に出ると、方言も気にするんですよ。早稲田に行った同級生は、「方言が出ると馬鹿にされる」と言っていました(笑)。今のTVとは大違いですね。
10月の写真展には、是非伺って、拝見したいです。
黒ユリさん
この時代、私は都会電車などはほっておいて地方のひなびた電車ばかり追い続けました。
東京の電車を撮ったのはごく僅です。
身の回りの風景をほんとうに撮ってなく後悔することもありまが、それだけ当時の地方の電車に魅力があったということです。金沢は昔から魅力ある土地で、方言もいいじゃないですか。
10月の写真展にいらして戴けると嬉しいです。
小田急の60年代風景、ちょうどブログにこの時代がらみの記事をUPしたところでもあり、興味深く拝見しました。車輌よりも沿線風景に目が行くのも相変らずです。
Cedarさん
私も電車のうんちくよりも当時の沿線風景に目が行ってしまいます。
Cedarさんのブログにあった成城~喜多見間の風景をブログに取り上げたくなりました。
歳はとりたくないですが、次第に遠い昔の語り部になってしまうのでしょう。
小田急の荷電。
昭和40年代前半までダークグリーンに黄色帯の塗装でしたよね。
母からは「新聞を運ぶ電車だよ」と教えられたのが思い出です。
そして、その頃からロマンスカーとか新性能の通勤車より荷電、電動貨車とかそっち方面に興味を持ってしまった訳なのですが。
今、小田急で通勤していますが、景色の変貌ぶりにはとても付いて行けないです。
なとさん
小田急の当時の荷電はダークグリーンに黄色の帯でした。
模型をやっていた頃、車内のモータを隠すのに荷電がピッタリで、
特にモニ1のような小窓とドアしかない荷電が好きでした。
今の小田急の変貌ぶりは、全てが過去に葬られてしまった感じがします。
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