案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年7月29日日曜日

玉電 引込線があった用賀駅(再掲)

引き込み線あった用賀駅のことをアップしたのが2012年2月1日、あれから早や6年以上がたちました。引込み線の話題がFacebookにあったので、奥まってしまった6年前の記事をコメントそのままに引出してみました。

この側線の先を右へカーブしたところは一体どんなであったのか。宵闇さんがネットで調べて教えてくれた凄いサイトによると、そこには映画館「用賀新東宝」、用賀ストア、大衆食堂、床屋があり、ガレキ広場の先で引き込み線が終わっている画像(映画のロケ地)が出てきた。
航空写真もあって、それによれば引込み線の終端は今の世田谷ビジネススクエア(高層ビル)辺りになる。現在の田園都市線の用賀からは想像もつかない用賀駅前があったのですね。


当時の玉電用賀駅にはちょっとした引込線があり路面電車の単調な駅に変化を与えていた。この頃の路面電車の存在は人々の生活に密着していたのでしょう。


引込線が右へカーブしていく。側線はホーム脇まで延びていて子供達の遊び場になっていた。1969.4.22 


用賀の駅を出て左にカーブし大山街道を玉電瀬田へ向かう.  1965.7.27
現在の用賀駅前のカーブ。 2015年4月

上の写真の踏切を渡ると木立の脇をカーブし併用軌道(大山街道)に入る。1965.7.27
現在の用賀駅前。 2015年4月


桜新町を過ぎ専用軌道区間の坂を下ると用賀に到着する。 1969.4.22
左にホーム脇まで延びた側線が見える。

夏の日の用賀駅 1965.7.27

11 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

用賀の引込み線の横には映画館→時々実演(●●リップです)をやっていた劇場があって、近所の悪がきどもの憧れの場所(!)だったらしいです。よく見ると古い町並みが残っている用賀ですが、いつまでのことやら~

katsu さんのコメント...

Cedarさん
玉電のこの一帯はCedarさんに縁が深い土地のようですね。今までにブログでよく拝見しています。玉電があった頃、沿線の世田谷では子供達がのびのびと育ったことでしょう。
玉電が消えた後は道路網整備で沿線の良さは全て消えてしまったような気がします。

anaasio さんのコメント...

線路で遊ぶ少年・・左側は私のような気がします。昭和39-44年、用賀の駅前、瀬田交差点から見てY字路(右玉電、左旧道?)手前の左側の板金屋さんの隣のアパートに住んでいました(板金屋さんの更にY字路寄りは交番で今も同じ位置のようです)。アパートの前には膝下程度の大きな石が道路側に置いてありました(20年位までは石は残っていました)。父親が好調の時は○谷工務店という看板も出していました。スーパー富士やOKの前形は当時からありました。玉電の線路には、兄さん格の友達と5円玉とかを仕掛て遊だり、駅前のコロッケ屋(10円!)でおやつとか、今の大きなビル(設計アーキテクト5)の辺りで戦争ごっことか・・

katsu さんのコメント...

anaasioさん
コメントありがとうございました。
えっ! あの時の子供達からのコメントが。
驚きのコメントを嬉しく読ませて頂きました。
コメントから当時の街の様子、子供達の遊びの様子が目に浮かんできます。
あの時に出会った見ず知らずの少年とこうして43年後にネットで再会できるとは何とも言えぬものを感じます。
こういう方にに出会えると古い時代の記録をブログにして良かったと思います。

伊豆之国 さんのコメント...

「玉電」ネタにはこれまでも何回も反応させていただきましたが、用賀駅とその界隈の、ちょっとしたローカル私鉄を思わせるこの風景、今も瞼の奥に蘇ってきます。
二子玉川寄りにあった「謎」の引込み線、戦時中に大橋車庫の電車をこちらに移そうとして、結局未完成のまま放置された、と言う話は確かに見たことがあります。
用賀駅で降りることがあるのは、「砧公園」の中にある世田谷美術館に企画展示を見に行くときですが、それも少なくともここ10年くらいはもうご無沙汰で、周辺の景色の変化もよくわからぬままです…。

katsu さんのコメント...

伊豆之国さん
玉電ネタお久しぶりです。
音楽仲間のfacebookで昔の玉電のことが話題になったのですが、鉄ファンに限らず玉電の人気ぶりは凄いですね。
今の田園都市線用賀駅を地上に出ると、昔と今のあまりにも大きな落差に、誰もが昔の懐かしさをよけい想うのでしょう。用賀に限らずた玉電沿線はどこも今昔の落差が大きいですね。
引込み線があった用賀はその中でもピカイチではないでしょうか。

Cedar さんのコメント...

凄いサイト見ました。用賀新東宝は二子劇場で、亡妻が小学生の頃から映画と実演が混じって、学校から「前を通らないように
」とお達しが出たらしいです。二子劇場はドラックストア、用賀ストアはフジスーパーの場所です。
私は城北文京区のはずれ生まれですから、用賀に縁があるわけではないです。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
あの映画館が二子劇場に、そして今はドラッグストアでしたか。
そして、その奥にあった用賀ストアが今のスーパーFUJIとは全く知りませんでした。
毎年のお墓参りにはこのスーパFUJIで花を買っています。
今、駅前にあるドラッグストアの昔は、映画と実演があった劇場であったのをを知っている人は古老のみでしょう。
Cedarさんの幼少時代はこの用賀に縁があると思っていました。
この頃、私は自転車こいでこの先にある読売飛行場によく見物に行ってした。

Unknown さんのコメント...

はじめまして。玉電のことを調べてこちらのブログにたどり着きました。鉄道好きの小学生の息子の母です。
実は用賀停留所跡すぐ近くのビルの駐車場に、鉄道のレールのようなものが埋まっていて、息子がずっと気にしています。レールとレールの間はほぼ1372ミリでしたので玉電のレールか⁉︎とも思ったのですが、そのような記録はないようです。何かご存知でしたら教えて頂けますと幸いです。場所は用賀2-36-17です。

katsu さんのコメント...

Unknownさん
はじめましてまして。
てっきり昔玉電の用賀駅から出ていた引込み線の跡かと思いました。
番地のところを地図で見るとあの引込み線の場所ではなく線路の反対側なんですね。
玉電の用賀駅を少し渋谷へ向け進んだ右側に、昔引込み線のようなものががあった情報は全く知りません。
軌道の軌間が1372mmということは玉電廃線後、趣味者が短い線路を譲ってもらって記念に設置したのではないでしょうか。

Unknown さんのコメント...

katsuさん
ご丁寧にお返事ありがとうございます。
玉電の廃止を惜しんで、記念に設置したものかもしれませんね。石畳もほんの少しだけ敷かれています。電車好きの息子しか目に止めないような場所でした。ありがとうございました。