案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年11月8日水曜日

金沢市内線の異端児

街並みでスタートした「金沢の街」の写真にコメント戴き、1枚目の写真からいろんなことが浮かび上がってきました。
電車の背後に写った街並みに今も残っている建物があること。あの区間が金沢駅前のループ単線区間であったこと。行先表示が金沢駅到着前に寺町行に変えられていたこと。そして元琴平参宮鉄道の電車を改造した金沢市内線では異端児の電車であったこと。
こんな元琴平参宮の電車と金沢の街並みの組合わせは僅か3年あまりで終わってしまった。

金沢の街並みを行くモハ2062(元琴平参宮電鉄)  1964.12.31

1963年(昭和38年)に廃止された琴平参宮電鉄からデハ81と83を譲り受け、狭い道幅に適合させるために車体を切り詰めるなど原型をとどめない大改造が行われて翌1964年使用開始。市内線廃止後はモハ2051とともに福井鉄道へ譲渡されてモハ511, 512となっていたが、同じく1969年(昭和44年)に廃車されている。wikipediaより


モハ2061(元琴平参宮電鉄)  撮影:田辺氏 1964.10.05 

モハ2062(元琴平参宮電鉄)   撮影:田辺氏 1964.10.05 


こちらも異色のモハ2051(元武蔵中央電気鉄道→北鉄金石線→金沢市内線)
撮影:田辺氏 1964.10.05 

2 件のコメント:

代打・山本 さんのコメント...

金沢市内線の車両は最大幅が2,200mmまでという制限があったため、琴参から来た2060形はシルやヘッダーの埋め込み、屋根下縁の水切りを撤去して張り上げ化はもとより、側窓のHゴム周囲も一段凹ませる徹底ぶりで、妻面を絞るだけでなく車体長も縮める大改造が行われましたが、ここまでしなくても済む種車が他になかったのかとも思え、履き替えた低床台車の出所を含めて謎が多い車両です。

katsu さんのコメント...

代打・山本さん
またまた興味深い情報をありがとうございました。
55年前に金沢市内で初めて出会った時は、他の車両と違ってとても個性的で、
登場直後のせいか、まるで新車のように見えました。
一段と車幅が狭く見えのたは妻面を絞ったせいですか。
そして、あの個性的な外観は各部に施された改造によるものでしたか。
こんな現地仕様に改造した車両は標準型と違ってとても魅力を感じます。
福井へ行ってから2両とも廃車になったようですが、
どこかで保存されていればと思うと大変残念です。