案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年6月7日水曜日

朝の別府港 2軸客車

扉を開けた中にあった引き込み線の一角については訪問記に記録なしでした。そこにいた2軸客車の経歴などは既にブログの「別府鉄道の旅客車両」で紹介してあります。写真で客車の周囲が少しだけ分かりますが、あるのは何かの残骸(工場跡?)だけのようです。

お馴染みの2軸客車を含め7両も2軸客車が留置されていたのは、これだけ客車を必要とした多客シーズン(海水浴)が昭和30年代前半まであって、訪問した昭和30年代後半はかっての客輸送の跡形をかろうじて残していたと言う事になるのでしょう。

ハフ7 別府機関区  1962.07.28 

ハフ5 (ハフ6は同形) 

ハフ1、2 

 別府港を発車した土山線の5号機+客車ハフ6+貨車.

別府港へ戻ってきた土山線の5号機+客車ハフ6+貨車. 

2 件のコメント:

ねこあたま さんのコメント...

私が見た時代は、海岸部が工業用地になっていましたが、まだまだ田園風景溢れるところでしたが、
昭和30年代までは海水浴場があるとは思いもよりませんでした。

katsu さんのコメント...

ねこあたまさん
あそこに海水浴場があったなど日本各地が急激に様変わりしていく時代でした。
民俗学者 宮本常一写真図目録2「日本人の暮らし昭和37~39年」を見ると
この頃は失われた日本の風景がまだ各地に残っていた時代でした。