案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年11月1日火曜日

土佐電の魅力2

土佐電のもう一つの魅力は道路端の専用軌道を行く区間にあった。
この区間の道路端軌道は今も変わらないようだが沿線の風景は大きく変わっている。
今、同じ位置に立っても当時の風情は残っていないのでしょう。
綺麗になった日本、全国津々浦々まで。

まもなく後免町の直線区間. 1969.05.05

田んぼと路線電車.

軒先かすめての世界.

明見橋を行く重連.

重連の急行安芸行.

6 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

この時代から軌道⇆鉄道直通運転、急行の連結運転〜〜進歩的だったのですね。
このまま残っていればよかったのに。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
こんな遠い昔の時代にやっていたのですね。
安芸線が残されていれば今でもやっていたかも知れません。
安芸線の跡につくられた高架は、それまでとまるで違う風景に感じてしまいますが、
災害を考えたら高架は仕方ないのでしょう。

置き猫 さんのコメント...

今でも安芸線のままだったら当然続いていたでしょうね。軌道線の方は車両の変化も
少なく、昔と同じように600形や200形が快走しているでしょう。
ごめん・なはり線に置き換えられる事なく近代化されたとさでん交通安芸線、
それはそれで見てみたかったものです。ひょっとすると広電宮島線や福井鉄道福武線の
ように全車・あるいは大半が低床車に置き換えられていたかも。

katsu さんのコメント...

置き猫さん
もし安芸線が残っていたら広島や福武線のイメージになるのでしょう。
福武線は乗り入れを期待していたのですが、新型車や駅の近代化などで次第に関心が薄れてきました。
その点、土佐電は昔からの車両を今も活用しているところに魅力を感じます。
この魅力を前面に出して観光に活かしてくれると嬉しいのですが。

福武線に限らずどこでも存続のため車両も駅もすべてが今風になってしまうのは廃止されるよりマシですが、
私にとって地方鉄道の魅力は消滅に近いです。

匿名 さんのコメント...

60年代の郊外の原風景はわたくしには桃源郷に匹敵するぐらい好みです

katsu さんのコメント...

匿名さん
この時代の原風景に感心もって頂けると励みになります。
日本の各地が人工的に美しくなるにつれ、次第に原風景のへの想いが強くなります。
この先の50年後は今の風景がどんな想いになるのでしょうか。