北陸本線はこの年に金沢まで電化され石動は電化工事が始まる頃で、石動駅の片隅には加越能鉄道のりばがあって砺波平野を庄川町まで19.5Kmを走っていた。東急車両製で湘南型2枚窓のキハ120形2両は加越能鉄道の廃線後関東鉄道に転じ鹿島鉄道で有名な人気者キハ431と432となった。。
一連の北陸を撮影した田辺さんは富山から金沢へ向かう途中、石動駅に降りて加越能鉄道とDF50や特急白鳥を撮っていた。 加越能鉄道はこの9年後1972年9月に廃線となった。
撮影:田辺多知夫 1963.07.12 石動駅
北陸本線石動駅の全景 特急「白鳥」
石動駅の端から出ていた加越能鉄道加越線.発車を待つキハ3 昭和6年日車製
石動駅の加越能鉄道
ハフ31(元キハ1) サボに表示された「石動⇔庄川町」
まるで模型のような外観の機関車DL112 昭和32年東急車両製
中々アカ抜けしたスマートな機関車です.
加越能の珍車キハ15001. 構内には北陸本線電化工事の電柱が並ぶ.
昭和28年輸送機工業製で、将来の電化に備え過ぎて失敗した車両.外観は電車形で台車はFS13を履いている(鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり4より)
FS13台車を履いた電車になりそこねた珍車
14 件のコメント:
良い雰囲気ですね。
見たところハフ31には空気ブレーキが無いようです。
この時代は おおらかで良いですね。
にわとりさん
ハフ31は元キハ1形のNo1で戦時中の燃料不足でエンジンを外して代用客車になったそうです。
コッペルやボールドウィンのCタンクに牽かれて混合列車となって砺波平野を走っていた風景は絵になりそうです。
1963年当時は殆ど使用されてなかったそうで、運よく写真が撮れたのは荷物車として使われていたのでしょう。
石動駅から出ていた加越線は、私の少年時代、北陸に初めて足を踏み入れた頃には既に消えていたので、現役時代のことは鉄道雑誌でも見たことはほとんどありませんでしたが、加越線の沿線にあった井波町には、二昔ほど前に行ったことがあり、欄間などの伝統彫刻作りが特産品で、お寺の参道に彫刻作りの店が立ち並び、風情のある門前町でした。石動駅がある小矢部市は、学校や公共施設などに国内外の有名建築を模した建物がずらりとそろい、「コピー(物まね)建築の町」の町として有名になったそうで、多分昭和の末期ごろだったか、なんでも自ら建設業界の出身だった当時の市長の発案だったらしいという話だそうです。
石が動くと書いて「いするぎ」というのも難読ですが、例えば「不動の地位を築く」ことを「ゆるぎない」というような言い方があるので、「いしゆるぎ」が「いするぎ」になまった、ということらしいとか。…同じ北陸線のさほど遠くないところにある「動橋」は「いぶりはし」、とにかく地名の読み方は難しいですねぇ…。
加能越鉄道という名前から察するに、富山と金沢を結ぼうとしたのでしょうか。
加越能鉄道DL112は大変珍しい東急車両製のディーゼル機関車でした。
同系車に常総筑波鉄道常総線(鬼怒川線の砂利輸送用)のDB11がいて、関東鉄道成立後は竜ヶ崎線に転出しました。
竜ヶ崎線時代の画像が下記URLにあります。
http://www.freightcar.jp/0_frame_freephoto/f_3100_20.htm
電車に成り損ねたキハ15001の横に電化工事の電柱が並ぶ光景は何とも皮肉ですね。
キハ15001という地方鉄道では珍しい長い車両形式番号(国鉄形式をそのまま使用したケースを除く)は、富山地方鉄道のように機関出力+2桁で表示したもので、キハ15001は150馬力でした。なお、鹿島鉄道で活躍したキハ125・126以降は3桁番号になりました。
重量級の鋳鋼製FS13台車は名鉄で付随台車として使われ、6750系に転用されたものは2011年まで使用されました。
そういえば、戦前のことになりますが半鋼製客車ナハフ101・102は阪急で電車化されています。
ねこあたまさん
福野~青島間の中越鉄道がまず開通し、その後、福野~金沢間を計画中の金福鉄道を買収し加越鉄道と改名したそうです。加賀と越中を結ぶ計画があったことから加越能の加越は分かりますが能は何に起因するのでしょうか? それにしてもややこしい鉄道名ですね。
伊豆之国さん
行かれたのは砺波市にある井波町ですね。
加越線の終点庄川町の一つ手前に井波駅がありますね。
加越線は富山、高岡からずっと離れた中途半端な石動が起点であるのはいろいろと歴史があるのでしょう。沿線も歴史があるようで今も加越鉄道が走っていれば楽しめると思います。
三等急電さん
常総線や竜ケ崎線に加越能DL112と同系のDB11が居たのは全く知りませんでした。
紹介があった#9999さんのサイトで竜ケ崎線時代のDB11を見ました。きれいな写真ですね。
常総線はつい最近まで訪問したことがなく、竜ケ崎線はSLが貨物を牽いていた頃しか知らず、こんなスマートなディーゼル機がその後入線していたとは意外です。常総線や筑波線にはこれより大型のディーゼル機がいろいろ居ましたがキャブの窓が何となく似ていたような気がします。
電車に成り損ねたキハ15001は模型で気動車→電車化を実現したら面白いでしょうね。
katsuさま
ご無沙汰してます。
石動からこんな渋い線が出ていたんですね。
興味深く拝見いたしました。
そして、白鳥。
大好きなキハ82系で両方の編成にキシが繋がれ最大時14両編成と
一番のあこがれの列車でした。
同形式のかもめとまつかぜには乗りましたがこの白鳥にも乗ってみたかったものです。
狂電関人さん
この昭和30年代後半は国鉄もよき時代でしたね。
これを撮った田辺さんの北陸/山陰/広島の旅の画像を見ると蒸機はどこにでもふんだんに居ました。
SLブームのずっと以前で許可をとれば機関区内部にも出入りできました。
そしてキハ82系の特急は山陰でまつかぜ、広島でかもめやみどりなどが写っていて、広島でC62の特急あさかぜ等が撮れた時代だったのです。今だったらこんなのを撮りまくりたいけど、当時だったら当たり前過ぎてあまり撮らないかも知れません。
三等急電さん、Katsuさん、DB11をご紹介いただきありがとうございます。
東急が製造したDLは、加越能鉄道と常総筑波鉄道の2両だけだったのですね。私も少し変わったデザインだとは思っていましたが、素性までは知りませんでした。
当時、鉄道ピクトリアルの情報から、雑多な木造客車や煙を上げる蒸気機関車にひそかに期待を寄せて訪問したのですが、関東鉄道発足を機にだいぶ様子が変わっていました。常総筑波鉄道・鹿島参宮鉄道という響きがなんとも好きだったのですが。
当時は高校生で、父親の見よう見まねで現像した結果見事に失敗し、プリントは殆ど真っ黒で使い物にならずお蔵入りになっていたものでした。昭和43年に撮影した関東鉄道の画像は、趣味復帰後デジタル技術でみごと?よみがえったものです。
#9999さん
昭和43年の竜ケ崎線佐貫駅の写真はそういうことでしたか。
お蔵入りのネガがデジタル技術でよみがえったとは有り難い時代です。
もし紙焼きの時代であったら私も多くのネガは死蔵したままだったと思います。
ただし、昔のネガをデジタルでトーン調整など最適化しても見る側の液晶性能次第であるのが悩みと思います。
画質最適化を確認するには専用ディスプレーを用意せねば解決しないでしょうね。
北陸本線・加越線の石動駅の写真を見て、子供の頃の記憶が甦りました。加越線は帰省の時に利用しました。貴重な記録です。雑多なDCは走行は線路がへろへろで結構揺れました。サイロがある津沢駅、繊維工場そばの井波駅での貨物扱いもありました。福野駅の本屋と直接結ぶ跨線橋は重厚でした。加越線と接続する城端線の列車は行き違いが無い時は上下共本屋側の1番線の発着でした。今年になって霞ヶ浦北部にある小川南病院の敷地内のキハ432が良好な状態で保存・活用されているのを見ました。富山の地元では加越線の痕跡は井波駅の駅舎とサイクリングロード(福野の城端線を跨ぐ築堤など)くらいになりました。
京葉帝都さん
興味深いコメントをありがとうございます。
貴重な思い出から当時の素晴らしい情景(想像)が目に浮かびます。
私は加越線のことは全く体験なしで当時の情景写真も見たことがありません。
こんな情景の写真があったら見てみたいものです。
昭和38年の鉄道ピクトリアル加越線記事にある写真は全て車両だけで車両の周辺さえ判りません。
鹿島鉄道を走った美しいキハ432は廃線直前になって追い回しました。まさかこれが加越線から来たとは思ってもいませんでした。このキハが加越線を走る光景も素晴らしかったことでしょう。
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