案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年6月7日日曜日

豊橋市内線 単車王国

昭和38年の豊橋市内線の写真を改めて見ると単車ばかりで、ボギー車は三重の神都線からやってきた600形の3両が唯一であった。主力は名古屋市電から大量に入線した500形単車であったが、それ以外にも200、400形の単車が活躍していた。
戦災復興の都市計画でできた堂々たる広さの道路を小さな路面電車が走り、クルマはまだ少なく道路がとても殺風景に見えたものだった。今や各地で路面電車が見直されているが、豊橋市は戦後すぐに路面電車を活かした街づくりがされていた。

全て1963.04.04  

駅前から直進し新川の交差点を左に曲がる主力500形の単車.元名古屋市電
唯一のボギー車であった600形.新川
2年前(S36年)に廃線となった三重交通神都線からやってきた.

 昭和51年に廃止された柳生橋支線(新川~柳生橋)を500形が広大な道路を行く.

豊橋駅前へ向かう500形.第三相互銀行のビルは今も第三銀行として残っている.

旭川市街軌道より4両購入した200形.

400形(402) 下一之色電車軌道→名古屋市電→豊橋鉄道

うす暗い早朝の豊橋駅前で赤岩口方面のりばの400形(402)

400形(403)豊橋駅前
200形(201)
500形 豊橋駅前から更に市民病院前まで線路があった.

元神都線の美しいボギー車600形

2 件のコメント:

常夜燈 さんのコメント...

KATSUさんの画像で気が付きましたが
柳生橋支線は最後まで単線でしたが
複線分用意されていたのですね。
この頃は柳生橋で渥美線から乗り換える
人が沢山いました。単車天国の中で
600形が非常に大きく見えました。

katsu さんのコメント...

常夜燈さん
柳生支線が走っていた立派な道路(片側3車線)は今でも路面電車が復活できそうですね。
柳生支線は乗客減で廃止になったそうですが、
支線が復活し柳生橋から渥美線へLRVほっトラムが乗り入れにでもなれば楽しいですね。
神都線からやってきたボギー車600形はたしかに大きく見えました。
伊勢(神都)市を走っていたせいか落ち着いた格調ある外観の電車でしたね。