案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年5月19日火曜日

真夏の福島交通軌道線 3

福島駅前を出て長岡分岐点の手前で電車は摺上川に架る木橋「さいわい橋」を渡る。
田辺さんが撮った「さいわい橋」をさらに続けてみましょう。
写真に写った1964年の木橋は痛みが激しく並走する道路は通行止の柵がしてあった。
こんなすごい木橋を電車はよく渡ったものだ。
1966年12月大晦日に訪問したときはこんな木橋も改修されていた。

撮影: 田辺多知夫氏
夏の「さいわい橋」瀬ノ上荒町-河原町  1964.07.27

改修前でかなり傷んだ恐ろしい木橋



福島からやってきた電車は「さいわい橋」を渡ると長岡分岐点へ向かう 1964.07.27

木橋改修の直後 1966.12.31

4 件のコメント:

toshi さんのコメント...

いやはや想像を絶するものすごい橋ですね。欄干も足場板も途中
で無くなってるは、大穴は空いているは! せっかく車両止めし
てあってもレールの上通れば入り込めちゃいますよね(笑)

そういえば駿遠線の大井川の橋も戦前は列車、自動車供用でした
が車との事故で分離したとか。それにしても昔の東北は貧しかっ
たのでしょうか。

Cedar さんのコメント...

さいわい橋には4年後の夏に親子で行きました。改修後とはいえ、時代劇に出てきそうな橋を電車が渡る光景は強烈でした。スパンを長くするためかコンパウンドカテナリーのようになった架線が独特でした。

katsu さんのコメント...

toshiさん
ほんとうに凄い木橋ですね。
当時ここまで痛んでいたとは知りませんでした。これで脱輪などが起きなかったのでしょうか。
駿遠の昔の大井川鉄橋は写真で見たことがあります。
戦前は大変立派な鉄橋だったのですね。それが大正時代の木橋に戻ってしまった?
昔の日本は東北に限らずどこでも貧しかったです。
豊かな時代になった今、当時の写真を見るとあっと驚く光景がいろいろあります。
特に地方私鉄にはそれが溢れていて楽しい世界です。

katsu さんのコメント...

cedarさん
4年後ということは昭和43年の訪問ですね。
さいわい橋は改修後と言っても完全な木橋でしたね。貴重な風景でした。
道路を行く電車は夏はホコリまみれ、冬はドロだらけの世界で電車が悲惨でしたね。
専用軌道を走る電車とは大違いを感じたものです。
橋の上の架線が少し進化していたようですね。