案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年6月2日日曜日

昨日のテレビ「廃線歩き旅」は駿遠線であった

6月1日夕方6時30分~テレビ東京「ノスタルジック鉄道紀行-にっぽん廃線歩き旅2」という番組で静岡鉄道駿遠線の廃線歩きが放映されましたね。大手から袋井まで全線64.6Kmの廃線歩きは、よくある鉄道旅番組とは違って中々のもの。こんな中身の濃い番組を土曜の夕食時に流すとはもったいない。2時間半もの長い番組で注目は一番目の駿遠線だったと思います。
番組に登場した沿線の皆さんの声を聞くと、この小さな軽便に大変な懐かさと愛着を感じているようで、良き時代の想い出がたくさん詰まった軽便だったのでしょう。駿遠線の全線を途中2泊して歩きたくなってきました。

静岡鉄道駿遠線は、日本一長いと言われる軽便鉄道。(軽便鉄道とは、一般的な鉄道よりも規格が低く、コンパクトかつ低予算で建設された鉄道のこと)昭和23年、中遠鉄道(袋井~新三俣)と藤相鉄道(大手新藤枝~地頭方)がつながり、静岡鉄道駿遠線が誕生した。今回は、大手駅から袋井駅まで総延長64,6㎞の廃線跡を踏破する。スタートは大手駅。当時、貨物取扱いや通勤客が多い主要な駅だったが、現在は大型書店に姿を変えている。
(土曜スペシャル公式サイトより)

藤枝本町駅跡

袋井-大井川

大井川鉄橋

大井川木橋

相良-新相良

地頭方

現役時代の駿遠線を走った蒙古の戦車. 袋井

10 件のコメント:

lodgershinmeishrine さんのコメント...

見損ねました!残念!古っ
今にも,壊れそうな大井川の橋をゆっくり,本当にゆっくり渡る車内で,何も写さなかったあの頃の私を今頃悔やんでます。

歩鉄の達人 さんのコメント...

おはようございます。
私も見ました。
廃線探索を歩鉄と表現していました。
歩鉄も認知されてきました。

青蛙 さんのコメント...

神岡鉄道と片上鉄道もよかったですよ。特に片上鉄道は貴兄と故I君との訪問時は最盛だったようで、放映されたものは以後のものでしたので郷愁は今一でしたが、息子は興味深く見ていました。歩鉄またいたしたい!

katsu さんのコメント...

lodgershinmeishrineさん
大井川の長い長い木橋はほんとうに怖そうでしね。私は撮るだけで列車に乗りませんでしたが。
今回のテレビ放映では橋を渡る車内が写されていました。お客は馴れていて平気なんでしょうか。

katsu さんのコメント...

歩鉄の達人さん
新聞の番組紹介に「歩鉄旅」とあったので、てっきり歩鉄の達人さんの登場かと思っていました。
歩鉄さんが定めた「歩鉄」と、趣味の廃線跡ジャンルがテレビで認知されてきましたね。
現役路線のテレビ番組だとすぐにグルメと温泉ですが、歩鉄ではまずは廃線跡を探索するので楽しめます。

katsu さんのコメント...

青蛙さん
歩鉄はいいですね。番組を見て改めて感じました。
駿遠線の放映は夕食あと回しでくぎ付けとなり、その後の神岡や片上はさらっと見ただけでした。
神岡は2ftではなく、片上もその通りで私も関心が薄かったです。
もし駿遠線廃線跡を全線歩くとなると各所の遺構を確認しながらとなるので2泊3日でも無理かもしれません。
また食事抜きで夢中になりそうですね。

lodgershinmeishrine さんのコメント...

御存じのことと思いますが,youtubeに駿遠線の全線を3部に分けて,記録したカラーの動画があります。私はこれに感動して,コメントを入れました。もし,まだならば,是非ご覧になって下さい。線路と枕木もしっかり映ってますよ。

katsu さんのコメント...

lodgershinmeishrineさん
素晴らしい動画の情報ありがとうございました。
駿遠線の動画が3本あることを確認しました。
素晴らしいですね。NHKアーカイブのような感じで素人の撮り方ではないと思われます。
駅舎から始まり駅の風景、列車に乗るところの楽しそうな乗客、退屈そうな高校生の車内風景など実に生き生きとした動画ですね。
3本で40分近くになりますがチビリチビリ見ています。

伊豆之国 さんのコメント...

私もこの番組を見ていました。
駿遠線は、今思うと一度は乗ってみたかった「軽便」だったのでしたが、私が御前崎に行ったときには既に消えた後でした。この線のことを知ったのは、小学生だった頃、鉄道F誌で初めて見たのが「大井川から先が廃線」という記事で、大井川の橋が「橋脚が丸太を束ねて造った『まるで玩具の汽車にあるような華奢な橋だった』という嘘のような代物だった」ことを知って大いに驚愕したことだったのでした。この番組を見るまでにも、鉄道雑誌や、最近ではネット記事からもいろいろと多くの予備知識を得てきたので、それらと見比べながら熱心に見入ったのでした。
ところで、最近になって、私が以前から頻繁に出入りしている地理ネタサイト(某巨大チャンネルではありません)に、「相良から東名吉田経由で静岡市に直結するバスが大繁盛で、日中でも20分間隔、朝のラッシュ時は何と5分間隔で運行されている」という地元の方の記事が載っていたことで、「あの『越すに越されぬ大井川』に難渋した豆汽車のような軽便が走っていたルートが、いまや政令指定都市・静岡市への通勤通学の一大幹線になっている」ということを知ってまさに二度びっくりしたのでした。

katsu さんのコメント...

伊豆之国さん
大井川の華奢な木橋はほんとうに信じられないですね。
昭和41年に見た地頭方発の朝の通勤列車はDD機関車が客車5両も牽いていました。これがソロリソロリ木橋を渡るので運転手はヒヤヒヤだったでしょう。今も相良から通勤客が多いのですか。あの時の軽便客車は定員75名だったので列車1本でバス5台分の客を輸送したことになります。仮に近代化軽便になっていたとしたらバスよりずっと合理的に運べるのではないでしょうか。