案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年6月12日火曜日

大雄山の木造電車2

この時代の大雄山線の現役木造車は次の8両であった。
モハ20形 モハ21+クハ22
モハ30形 モハ32+モハ33
■■■■ モハ34+クハ36 (湘南色)
■■■■■ モハ37+クハ24(モハ35改造したクハ)    (廃車体モハ31)

モハ20形は戦時中から車体を大分改修し,シングルルーフ,上昇式窓になり妻面の形態も変わった。
モハ30形(31~37)で西武色の32 33 37も大改修されていてドアエンジン付両運に改造されシングルルーフ化した外観はモハ20形と見分けがつかない位よく似ていた。

大雄山の明治生まれの木造車 モハ34とモハ21.  1963.2.22

小田急と立体交叉する五百羅漢 緑町 を行く モハ32+モハ33.

大雄山を発車したモハ32+モハ33

ではモハ20形とモハ30形について

小田原駅で客を待つモハ20形(21+22)    

モハ30形37   大雄山

モハ30形32   大雄山

モハ30形32の車体. 大雄山
大改造により下の30形原形とは異なりモハ20形に近い.
モハ30形でも原形に近いクハ36   大雄山

何が履いていたのか不明だがMCBに類似した台車があった


参考文献: 鉄道ピクトリアル「私鉄車両めぐり」第6分冊 伊豆箱根鉄道 吉川文夫氏

2 件のコメント:

TF さんのコメント...

はじめまして

TFと申します。DRFCクローバー会に所属しており、乙訓の老人の後輩です。
大雄山線に初めて訪れたのは昭和42年9月1日で、その時はモハ37とクハ24が残っており、クハ24は休車状態でした。元西武、買収国電を含む国電が在籍し、興味の尽きない線区でした。
モハ32+33を撮影された場所は五百羅漢駅と思います。小田急の足柄駅が至近距離にあります。また、相模沼田と栢山は徒歩20分位で移動でき、掛け持ちで撮影したことがあります。

katsu さんのコメント...

TFさま
五百羅漢の駅名ご指摘ありがとうございました。
小田急と交叉する五百羅漢を間違えてしまうなんてお恥ずかし限りです。
駅名の間違いを早速訂正させて戴きます。
DRFCクローバー会掲示板の投稿記事は貴重な情報でいつも圧倒されます。
乙訓の老人様には和歌山の片ボギー電車の写真で大変お世話になりました。
これからもどうか宜しくお願いいたします。