案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年2月15日水曜日

栃尾線 気になる客車2題

上見附駅の構内で目に止まった気になる2両の客車。ユーモラスなカマボコ屋根の客車と、古い都電を改造した客車。これらは昭和48年の栃尾線近代化(総括制御編成化)の数年前まで活躍した。

撮影: 全て1964.3.22
カマボコ屋根のホハ20.上見附  画像クリックで拡大
駅の脇には日通の建物から排出される煙、その先に朽ち果てそうな建物が並ぶ1960年代の風景が.

そんな風景を背に停車していた簡素な作りのカマボコ客車。昭25年自社工場で新作されたホハ20で、もう1両の同形ホハ21は何と電車に化けている.模型でも簡単に作れそうなカタチに思わず車体各部の寸法を測ってしまった。

↓が元カマボコ客車ホハ21を改造して出来た電車で、元の面影は全くない.
細面で中々スマートなモハ211(元カマボコ). 悠久山
写真を付け合わせてみるとこの編成はモハ211+ホハ11+ホハ20で、
なんと味わい深い編成だろうか.


元都電のホハ11.上見附
こちらは昭3年汽車会社製の元都電杉並線の電車を客車化したもので、妻面の窓が低いのが元路面電車らしい.アーチバー台車に交換など改装してすっかり軽便客車になりきっている。


発車待ちの元都電ホハ11の車内には子供が一人.
車内は木作りで両開き式の客室ドア、紐のような吊皮、網棚やシート等 都電の名残りかも知れない.
客車内は寒いせいか乗客の多くは前の電車に乗り込んでいた(下の写真)

手をつないだモハ211(元カマボコ)とホハ11(元都電).



6 件のコメント:

青蛙 さんのコメント...

思い出しますね。ここを見て奥山線に行きましたね。寒かったことは覚えています。

katsu さんのコメント...

青蛙さん久しぶりです。
この時の栃尾線の3人の旅は前半で、後半が奥山線で、寒かった栃尾線とは対称的な奥山線の暖かな日差しを思い出します。

奥山線で珍しく鉄仲間全員が揃った旅をオリンパスペンSシリーズでアップしようと思っています。

Cedar さんのコメント...

元都電のアーチバー台車、センターがズレているのがユニーク。これまた元ガソリンカーの台車か何かでしょうか?
栃尾線はホントに奥が深い!

toshi さんのコメント...

katsuさん、皆さんのように鉄の知識を持ち合わせないので思い出話ばかりになり申し訳ありません。

この新見附駅のすぐそばにも母方の叔父が住んでいました。もし私が鉄分を持ち合わせていたら栃尾線も駿遠線もたっぷり写真とともに堪能できたでしょうね。

その後悔も有って最後の軽便と言えるか解りませんが、三重県の北勢線に乗ってきました。やはりレール幅の性かよく揺れました。撮影ポイントも何カ所か有る様で近鉄内部八王子線も含めて、また出かけてみようと思っています。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
この特殊アーチバー、元ガソリンカーとの説がありますが、栃尾のガソリンカーはこんな小径車輪ではなく、私は元ガソリンカーとはとうてい思えません。センターがズレている理由は他に何かあるのではないでしょうか。

katsu さんのコメント...

toshiさん
ここは決してマニアックな鉄分は不要です。
地方私鉄にまつわる思い出話など素晴らしいではないですか。私はどちらかと云えば機械のことより情景やエピソード等の方を重視してきました。

北勢線に乗って来られたとは、すっかり軽便鉄道ファンぶりに驚きました。軽便の魅力は鉄分なしでも十分惹きつけられるものがあると思います。