案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年10月1日土曜日

下津井コーストライン 児島駅

JR瀬戸大橋線と瀬戸大橋がまだ開通してなかった頃は、倉敷からバスで児島までやってきた観光客はこの先の鷲羽山方面に向かうには下津井電鉄に乗るかバスに乗るしかない。児島駅はそんな観光客目当てに新築されたテーマパークのようなつくりのメルヘン駅であった。

しかしJR瀬戸大橋線と瀬戸大橋が開通し鷲羽山周辺の道路も整備されると、岡山から来る観光客はわざわざ下津井電鉄に立寄る必要性もなくなってしまった。
1987(昭62)年8月 児島駅の改築移転工事と下津井駅構内の改良工事が開始され同年中に児島駅を移転した、となると下津井コーストラインの繁栄は1988年4月大橋開通までのたった3ヵ月余りだったということに?  そして児島駅など含めた下津井コーストラインは完成から3年で全廃となってしまった。

下津井コーストラインへの入口児島駅. 1988.4.8

つかの間のメルヘン駅の繁栄.沢山の観光客を呼んでもっと永く続いて欲しかった。


生まれ変わった立派な駅に到着したモハ103+クハ24.


両端駅を除けば沿線には昔からの風景が残っていた. 東下津井-鷲羽山

2 件のコメント:

常夜燈 さんのコメント...

変わったのですネ!
その頃はローカル私鉄巡りを
休止していましたので当時の
画像を拝見して驚いています。
多額の投資をしたと思うのですが
世は気まぐれで思うように
行きません。

katsu さんのコメント...

常夜燈さん
私もこの頃はローカル私鉄訪問を止めていて、下津井は出張帰りに立寄ったものです。なんと革靴にスーツ姿で丘陵地帯に入りこんで鉄ちゃんをやってしまったのがついこの間の出来ごとのようです。

この時の下津井電鉄の様変わりにはほんとうに驚きました。バブルで派手にやり過ぎたのかも知れません。最後があまりに派手で全廃がよけい悲惨だったと思います。
嬉しいのは残された車両の修復が進められているようですね。