案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年10月30日日曜日

下野電気鉄道と雨宮製板台枠台車1

秋晴れの昨日、東武鬼怒川線の車窓から見た新高徳の駅前はこんな風景であった。
この駅前広場に、かって矢板へ向かう東武矢板線のピーコックが牽く混合列車の風景があったわけだ。
鬼怒川線の「新高徳」という駅名には以前から特別なものを感じていたが現地を見るのは初めてであった。

東武鬼怒川線 新高徳駅前 2011.10.29

更に遡ると前身は下野電気鉄道で、当初は762mm軌間の鉄道で1929~30(昭4~5)年、1067mmへ
改軌後、1943(昭和18)年に東武鉄道に買収され、東武鬼怒川線と矢板線になっている。
下野電気鉄道と言えば思い浮かぶのが花巻電鉄の一隅に置いてあった雨宮製のサハ車体やデハの板台枠台車、そしてミニ凸電EB62である。こんな車両達がこの鬼怒川線の風景の中を走っていたことになる。


花巻の雨宮製デハ1~4(鉄道線用幅広)と同形態であったサハの車体. 花巻 1964.8.3

花巻電鉄デハの雨宮製板台枠台車
下野電気鉄道が軽便時代(軌間762mm)の1925(大正15)年に雨宮製作所で造ったデハ103は、
花巻電鉄のデハ1~4(鉄道線用幅広で木造時代)と同形車で、同じ雨宮製板台枠台車を履いていた。


花巻電鉄EB62   花巻 1964.8.3
このミニ凸電も下野電気鉄道が762mm軌間時代に日車に発注した2両のうちの1台あろうと推測される。(鉄ピク 私鉄車両めぐり 吉川文夫氏)

下野電気鉄道デハ103号の台車 東武博物館の解説より
下野電気鉄道のデハ103は当初762mm軌間の軽便電車でしたが、1929~30(昭和4~5)年、1,067mmへ改軌道後は、台車を改造して使用しました。しかし1931(昭和6)年2月架線電圧を550Vから1,500Vに昇圧したため、すぐに使用されなくなり、同電気鉄道の東武系列化後は、浅草工場に保管されていました。  とある。 
(続く)

1920(大9)年  下野軌道 新今市~新藤原間の開業
1922(大11)年  下野電気鉄道改名後に電化         
1924(大13)年  高徳~天頂間の支線開業(後の東武矢板線)
1930(昭5)年    1067mmへ改軌
1943(昭18)年   東武鉄道に買収

参考文献 中川浩一:著「軽便王国雨宮」丹沢新社. 鉄道ピクトリアル「地方私鉄めぐり」第9分冊

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