案内文章
高度成長期に突入した1960年代は、
地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
。
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
を
回想してみました。
2011年9月30日金曜日
下津井コーストライン 下津井駅
瀬戸大橋の開通に合わせて “楽しい電車の走るナローゲージの旅” 「下津井コーストライン」と銘打った観光鉄道への変身が図られ、その一つが下津井駅での軽便車両展示であった。勢いもなくなっ軽便鉄道が、新車メリーベル号の投入だけではなく児島と下津井両端駅が派手な観光施設化されたのには驚いた。
花壇に囲まれ展示された軽便車両は遊園地のような派手さに抵抗があったが現役の車両や車庫まで取込まれていたのが魅力的であった。喫茶室で軽便風景を眺めて一時を過ごしていると贅沢な気分になったものだった。
クラシック音楽が流れる喫茶室でコーヒー飲みながら軽便風景が楽しめた.
煙はく 下工弁慶号(石川島造船所明治40年製)
下津井 1988.4.9
2011年9月26日月曜日
瀬戸大橋が開通した日
1988(S63)年4月10日瀬戸大橋が開通した。
この日の朝は快晴、下津井電鉄は昨日までと同じように瀬戸大橋を横目に走っていた。
瀬戸大橋開通がチャンスとばかり下津井電鉄では観光鉄道への変身を図ったが、橋の開通から2年8ヵ月で全廃となった。地方私鉄でしかも軽便としては涙ぐましい数々の増収策は、皮肉にも瀬戸大橋の開通により新生メルヘンチック鉄道が成り立たなくなってしまい、全てが消滅してしまった。
この日開通した瀬戸大橋を横目に走る. 鷲羽山 - 東下津井 1988.4.10
東下津井 1988.4.10
2011年9月19日月曜日
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2011年9月14日水曜日
東武鉄道 熊谷線(続)
1月24日にアップした東武鉄道熊谷線の続きです。
先日、You-tubeのlodgershinmeishrineさんのチャンネルに熊谷線がアップされました。
動画は廃線2年前の1981年8月26日撮影で、あれからもう30年が経ちました。
丁度この動画撮影と同じ頃、私も訪問しましたので音声入り動画を見るとあの時のことが
鮮明に蘇ってきます。
昭和56年の夏、廃線が近い噂を聞いて私も車をころがして行ってみました。
カメラは全自動カメラ、この頃は地方私鉄を撮りに行くことはまずなく、
熊谷線の撮影が唯一だった。 撮影 1981.7.18
以下は終点妻沼駅の風景
2011年9月7日水曜日
消えた新宿線のN101系定期運用
新宿線で平日朝の通勤時間帯に、N101系10連の急行が2編成走っていた。
朝日に向かい上り急行が100Km/hで飛ばす豪快な姿がみれた。
ごく稀に前パン編成でやってくる事があったが、上りの前パンは新宿線ならではの魅力。
いつまでこの豪快な10連の姿を見れるだろうかと毎年思っていたが
ついに今年3月のダイヤ改正でN101系10連の朝の定期運用は消えていた。
新宿線で残されたN101系10連(2両+8両) 1編成が走るのは不定期運用しかないようだ。
ある日のN101系2連を先頭にした2+8の10連. 東伏見-武蔵関
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