案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年4月6日水曜日

雨の耶馬渓1

熊本駅ですべ込みセーフで間に合った急行「第2えびの」は、肥薩線、吉都線経由の宮崎行きで八代から肥薩線に入ると球磨川に沿って素晴らしい景色の中を走った。当時はC55の客列車が沢山あり八代、人吉にはC55はゴロゴロしていた。
有名な大畑のループを通る頃には暗くなり、都城に20時に到着。寒い都城のベンチで1時間少し待ち、西鹿児島からやって来た門司港行きのガラガラ鈍行列車に乗り込む。ボックスシートに身体を延ばし一晩熟睡した。
翌朝6時40分、日豊本線の中津に到着。この日も昨日同様の雨であった。
大分交通耶馬渓線のホームに待ち受けていた気動車キハ100型に乗って羅漢寺へ向ったが、ガタピシの気動車は途中でワイパーがポロッと取れてしまったのには驚いた。
S42年の2月26日に東京を出発し、8日目となる九州めぐりは、3月5日朝の中津で旅行記録が途切れてしまった。


キハ104    中津 1967.3.5


ホハフ30  中津
中津の車庫には多種多様の珍品客車が大量に居た。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

初めまして、地方私鉄様。
貴重な写真拝見させて貰いました。
旧耶馬渓鉄道跡は、よく行っていますが
列車が走っている姿は、初めて見ました。
特に、旧中津駅は考え深いものがありました。

katsu さんのコメント...

smool.bassさん
コメントありがとうございました。
耶馬渓線の廃線跡によく行かれているとは羨ましいです。
耶馬渓線の羅漢寺と洞門近辺をこれから再度アップする予定ですが、沿線地理が不確かで撮影場所の確認に大変手間どります。私の記載に間違いがありましたら是非ご指摘お願いします。