案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年2月13日日曜日

山陽電気軌道 大和町線

下関駅前から山陽本線に沿って南下する大和町線は、本州の果て彦島口が終点となる。
彦島口では彦島へ渡る橋の手前でぷっつりと軌道が途絶える。
この沿線は海に囲まれ、水産加工の工場などが並ぶ通りであった。




漁港前(停留所表示板による)  1967.2.27

ハムソーセージの看板が見えるマルハの工場前。 大和町二冷前(停留所表示板による) 


早朝で閑散とした大和町線。 右手に山陽本線下関のヤードがある。

終点 彦島口、本州はここで終わる。 この先の橋を渡ると彦島へ。
左手に並行する山陽本線は彦島へ渡ってから関門トンネルにもぐる。


様々な電車がやってきては引き返す彦島口。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

下から2枚目の写真の右にある「小屋」で電車の切符を母が売っていました。私も当時2~3歳で母に連れられて行ってたそうです。

ちなみに父は電車の運転手でした。

懐かしいな

katsu さんのコメント...

前田さん初めまして。
懐かしい子供時代の想い出をありがとうございました。
昭和42年の早朝、山陽電軌の終点彦島口に着き、そこにあった建物が一体何だったのか何も判らず後で切符売り場だったことが分かり写真の準備をしましたがアップには至りませんでした。
前田さんご家族の想い出の切符売り場や路面電車を近々に追加アップさせて戴きます。お陰さまで山陽電軌の風景により深いものを感じさせてもらえました。