案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年2月12日土曜日

山陽電気軌道 下関駅前

「うに」の看板が連なる下関駅前。山陽本線下関駅の正面が右手にある。朝のラッシュ時間帯には絶え間なく電車がやってきて、通勤・通学など市民の足として無くてはならぬ存在に思えたが、この数年後に全廃とは。


下関駅前  1967.2.27
朝のラッシュも終わり昼前ののどかな時間。
下関駅前

下関駅前を出るとガードをくぐり、山陽本線の西側に出る。


朝の単車101。ラッシュ時間帯にはボギー車に混ざって単車が何台も活躍していた。

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

katsuさんの一連の写真を拝見していると、行っておけばよかったと思います。1970年春に初めて九州に撮影に行きましたが、そのときはまだ残っていたような気がします。
北九州線は何度も通ったのですが・・・

katsu さんのコメント...

1970年なら山陽電軌はまだ走っていました。
対岸の北九州線は巨大で、それに較べると山陽電軌は手頃な路面でした。
北九州線に何度も通ったとは、撮影でさぞ疲れた事でしょう。