案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年2月8日火曜日

山陽電気軌道 路面電車の終着駅

1971(S46)年に全廃となった下関の山陽電気軌道。
幡生線という専用軌道の区間があって、その終着駅の幡生はこんな畑の中にあった。
にぎやかな下関の繁華街を走ってきた路面電車はここで行止まりとなる。

幡生   1967.2.27


幡生
駅の背後をよく見ると国鉄らしき架線柱が。この幡生駅は山陽本線の幡生駅の片隅にあった。
路面電車の行先表示には彦島口とある。

2 件のコメント:

kotaro さんのコメント...

こんにちは。1973年頃より、山陽線、山陰線の下関口の国鉄列車の写真を撮りに、よく下関ー幡生間を歩きました。
75年頃に、山陽線の広いヤードを跨いでいた鉄橋の存在に気付きましたが、何も走って来ずに、何の線路だろうと考えていました。
そのご山電の鉄道専用線区間の遺構と気付いたのですが、終点の幡生駅は、このような感じだったのですね。
大変ありがとうございました。

katsu さんのコメント...

kotaroさん
こんにちは。
山陽電軌の幡生駅の背後に見えたのが
確か山陽本線と山陰本線が分岐する幡生ですね。
消え行く山陽電軌を夢中で追いかけて国鉄は見る余裕がありませんでした。
西日本では多くの路面電車が残って今も活躍しているのに山陽電軌は惜しいことをしました。
趣味的に大変地味な路線であったと思います。