案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年12月20日月曜日

小田急電鉄 成城の坂

小田急の喜多見から成城にかけて坂を登るが、
この成城の崖も野川沿いに出来た国分寺崖線になるそうだ。

右手に木立がある。  成城 - 喜多見  1962年12月
1962(S37)年頃、この坂の周辺は一面畑が続き、写真左手の畑の中を細い野川が曲がりくねって流れ、小さな鉄橋をくぐると、写真右手に見えるうっそうとした木立があった。
野川流れる畑が成城の崖まで続く。  成城 - 喜多見


その頃の木立が今も残り、ケヤキが世田谷区の保存樹木に指定されていた。'10.11.30


曲がりくねった昔の野川は、広い野川になった。
 喜多見 ⇔ 成城  '10.11.30

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