案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年9月6日月曜日

花巻電鉄 西公園停車場

西鉛温泉まで行く軌道線では、とりわけ西公園界隈の未舗装路併用軌道の区間が魅力的であった。
でこぼこ道路の土と砂利に埋もれた細いレール。車に踏みつぶされてレールは狂わないのだろうか。
軌道線廃線の5年前1964年、この頃はまだマイカー時代到来の前で、軽便鉄道は乗客で賑わっていた。消えゆく鉄道の寂れたムードなどは全く感じられなかった。

停留場にしては大きな待合室がある西公園停車場は、様々な表情をみせてくれた。
西公園停車場   1964.8.2

夏のある日の夕方、列車が到着すると沢山の人が降りどこかへ向かっていた。
駅の近くに人が多い光景はこの併用軌道区間でよく見かけた。車内もお客で溢れていた。
昭和30年代らしい風景は、建物だけでなく街に車でなく人が多いのも特徴だった。
西公園停車場    1964.8.2

西公園を発車すると併用軌道から専用軌道に入り、家並の中を抜けて西花巻へ向かう。
西公園 - 西花巻

狭い道路のうねった線路を行く。  西公園 - 石神

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

一連の写真からこの地の当時の情景がよくわかります。通りの電車の脇を歩いて行く人、待合室の前で待つ人、電車に乗り込む人。
まだ利用者が多かったんでしょうね。鉄道とそこで生活する人々との生業がこのコーナーのテーマでしょうか。時代の背景が全体的に
読み取れる回想集です。無機質な車両をアップした写真が謳歌する今の風潮ですが、ワビサビを感じます。青蛙

katsu さんのコメント...

青蛙さん
花巻の風景から「落日の軽便にいかにお客が多かったか」が判ると嬉しいです。
70年代の落ちぶれた廃線とは違い、この頃の廃線は元気のまま無くなってしまった感じがします。
その原因は60年代後半のマイカーの普及でしょう。今の中国みたいですね。