案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2026年3月2日月曜日

夏の朝

 仙北鉄道 1964年夏
地方へ鉄道を撮りに行くと、よく声を掛けられることがあった。

「どこから来たの?」「何を撮っているの?」
まだカメラをぶら下げて線路端に立つ者が珍しかった時代だ。

仙北鉄道では早朝に列車を待っていると、背後の家から声が飛んできた。
「お茶でも飲んで、ゆっくりして行きなされ」
縁側に呼ばれて、お茶と漬物をいただく。
どこから来たの等、取り留めのない話をしているうちに、
庭の下を朝の列車を通り過ぎて行った。
列車のことよりも、あの夏の朝のことが強く思い出される。

地方では見知らぬ者に声を掛けることは、ごく自然なことだったのだろう。
沿線の人のぬくもりが感じられた夏の朝だった。



朝の通勤通学時間.瀬峰

親切な沿線のおばさん.60年前
仙台まで行商に行っているそうだ.
 

沿線の静けさ

仙北鉄道 1964年夏
終点の登米に近い畑の中に、気動車が現れると、
手前の道にリヤカーを牽く家族が通りかかった。
母親と祖母とお手伝いの子は一家なのだろう。
ちょうど夏休みだった。

沿線で列車を待っていると、人に会うことは滅多にない。
見かけるのは、畑に出ている人影ぐらいだった。