案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2022年5月1日日曜日

ある時代の横浜風景

すっかり変わった今の横浜を見て昔の横浜風景を思い出してみました。


みなとみらい地区 2022.4.23
かつて横浜機関区があったところ。

1963年5月、横浜市電を撮る前に横浜高島町の高島駅(貨物)の一角にあった横浜機関区を訪問してみた。横浜~桜木町間の高架を行く東横線を挟んで横浜市電の反対側に横浜機関区があり、扇形機関庫の中にC56が3両休み、外には火を入れたC56が1両が待機していた。庫内のC56の2両は休車であった。
関係者の話では年内には蒸機は消えDD13に切り替わるとのことで、大変な数のDD13が入線していた。横浜機関区の蒸機が最後を迎えた1963年5月のことであった。


扇形機関庫に休むC56.2両は休車であった. 1963.5.3


C56に代わって主役がDD13に移行しつつある時代.1963.5.3

以下は撮影:田辺多知夫氏

その翌年の横浜機関区のハチロク. 1964.12.6


横浜東口駅前の国道と市電. 1964.12.6


現在の横浜東口駅前.2022.4.23


横浜市電 杉田米軍住宅を行く. 1967.2.4


横浜市電 間門電停.1967.2.4

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