案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年12月9日月曜日

ある日の西大寺鉄道 後楽園駅

後楽園の駅をブログにアップしたのは2010年7月でした。
再掲の画像と未使用の画像で再びこの駅をアップしてみます。

1962(昭和37)年、初めて軽便を体験したのが西大寺鉄道であった。
そのスタートが朝の岡山電軌に乗ってやってきた街外れのこの後楽園駅。
朝、こんな街外れから乗車する客は殆どいなかった。
廃線1か月前のことである。

撮影:1962.7.29
後楽園駅(再掲)
看板の後楽園駅の文字はかすれて見えなくなっていた。


正面に見えるお屋敷を避けて線路配置はこんなカーブになってしまったのでしょう。

奥へ延びる線路(再掲)

奥にあった単端用のターンテーブル。

運転手が新聞を読んで発車を待っていたキハ7 (再掲)


キハ7

2 件のコメント:

にぶろく さんのコメント...

いつも貴重な写真ありがとうございます。
軽便とはいえ3ftは立派に見えます。
後楽園駅の島型ホームは使っていたのでしょうか?

katsu さんのコメント...

にぶろくさん
後楽園駅の島式ホームは使っていない状況だったと思います。
細いホームには木が生えていて花壇もありました。
ほとんどの客は山陽本線と接続する財田駅で乗り換えるので
後楽園駅の島式ホームは初めから使う必要性もなかったのかも知れません。