案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年9月1日日曜日

江若鉄道

夏が過ぎると秋の江若が思い出されます。
写真集で江若鉄道のタイトルを「晩秋の琵琶湖畔」と付けたかったのですが、
10月だったので「秋の琵琶湖畔」でした。
まもなく1960年代を終えようとしている秋の一日。

社会人になってすぐペンタックスSPで撮るようになり、ペンタSPでモノクロ、フジカ35はサブカメラ(カラー用)となりこのカラーもフジカ35で撮ったものです。

これが思わぬ失敗、これまでのオリンパスペンSの素晴らしさも知らず不満のハーフサイズのサブカメラの役目を1967(昭和42)年の井笠鉄道で終えてしまったのです。
社会人になってから訪問した江若、上田丸子、新潟交通などには、それまでハーフサイズのサブカメラで撮ってきた宮本常一的写真(構えずありのままを記録する、例えば駅待合室風景など)が全くありません。今もハーフサイズのネガ箱を見ては後悔しきりです。


北小松~白髭間の名所を行く元熊延鉄道のキハ52。遠くに小さく白髭の湖中鳥居が見える。
 この日、元熊延のキハ51と52をよく見掛けた。1969.10.19

2 件のコメント:

風旅記 さんのコメント...

おはようございます。
高速で走る湖西線の列車から、建物の間に僅かに見える琵琶湖を見たことがあります。沿線は京都に近づくにつれてベッドタウンの様相になり、近郊型電車が闊歩していたのが印象的でした。
その昔、元々は江若鉄道が琵琶湖畔を走っていたと知ったのはだいぶ後になってから、本で知りました。お写真を拝見しますと隔世の感があります。実に風光明媚な土地だったのですね。
穏やかな湖面がどこまでも広がる風景、今のこちらの場所はどのようになっているのでしょうか。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com

katsu さんのコメント...

風旅記さん
昨日、たまたま古いメールのコピーが出てきました。
2016年9月10日に私が初めて風旅記さんにメールした時のものです。
古いメールを見つけた翌日に風旅記さんからコメントを戴くとは不思議な感じです。

琵琶湖半は自然と歴史ある文化が調和している地域だと思います。
江若鉄道も駅などがホウキで掃き清められていてその土地に相応しい鉄道であったと思います。
今は道路が立派になって鉄道も便利になって随分変わったことでしょう。
湖畔を行く道路を車で走ったら昔の江若鉄道のイメージが湧いてくるかも知れません。