案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年5月21日火曜日

浅間線 中浅間駅

浅間線に中浅間という駅があったのですね。
それに気づいたのは私の写真集に使った早朝の駅が浅間温泉駅ではなく中浅間駅であるのを今年初めにchitetsuさんが教えてくれたからでした。

chitetsuさんのブログ2017年8月26日の「浅間線の残影」によれば、廃線後も中浅間駅はバス停として使われ、しかも廃線跡がバス専用線としてよく面影を残していて1989年に撮られた写真が紹介されていました。
http://tsurikakedensha.blogspot.com/2017/08/blog-post_26.html

私が廃線後に訪問したのはその20年後2009年夏で駅舎は無くなり道路はすっかりその姿を変えていた。
確かにバス停に中浅間とある。

浅間温泉街に入る道路との踏切(脇に石碑が)がこの位置で、下浅間を過ぎてこの先を右にカーブしたところに中浅間駅があった。ここから終点までがバス専用線になったのでしょう。1963.7.20

浅間温泉の一つ手前にあった朝の中浅間駅。私の50年間の思い込み浅間温泉駅ではなかった。よ~く見れば機回り線がない。

石碑と踏切があったところで、アーケードをくぐると浅間温泉街へ向かう。2009年 

廃線跡は立派な道路になり、松本駅から美ヶ原へ向かう観光バスがここを走っていた。

4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

偶然ですが、トワイライト(廃線跡)ネタで被りましたね。こちらは病院ついでのお手軽ネタですが~
風景の変化は日本中どこも激しいですね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
廃線跡ネタとは砧線でしたか。
吉沢の鉄橋の昔のことが懐かしいです。
何にもない寂しかった砧の一帯がこれほどまでに発展するとは・・。
あの頃の日本は貧しかったのですね。

伊豆之国 さんのコメント...

浅間温泉には、十数年前に泊まったことがあり、松本駅からバスで行った記憶があったので、そのときお世話になった旅館の名を頼りに地図で当たったところ、その旅館は今も健在で、そしてすぐ前の、そのバスを下りたはずのバス停がその「中浅間」だったとわかったのですが、肝心の降りたバス停の名前がすっかり思い出せませんでした…。
帰りには、元の浅間温泉駅があったと思しきバスターミナルから乗った記憶がありますが、温泉街の風景がやはり今となっては記憶が飛んでいて、どこに「電車道」の跡があったことさえ思い出せません…。
浅間温泉には、かつて「高速リンク」と呼ばれたスケート場があり、新記録がよく出ることで有名だったそうですが、温暖化により厚い氷が張りにくくなったことと、スケート競技人口の減少で、だいぶ前に廃業したようです。

katsu さんのコメント...

伊豆之国さん
十数年前ということは中浅間の駅舎は既になくなりバス専用道も立派な一般道路になっていたことでしょう。
私は10年前に下浅間あたりから浅間温泉駅に向って歩きましたが、ここにかって中浅間駅があったことも知らずにバス停があったのも今になって分かった次第です。
浅間温泉駅もあまりにも変わってしまい昔の駅位置の確認ができませんでした。
綺麗で由緒ある温泉だけど何も特徴がない印象があります。
今の温泉はどこもこんなものなのかも知れません。