案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年5月8日水曜日

画像テスト 伊達駅前

2013年にアップした福島交通軌道線 伊達駅前の風景をスキャンやり直して比較してみました。曇天のネガのため画像にメリハリがなかったので、スキャン方法を変えて少しでもメリハリがつくようにしてみました。


2013年にアップした伊達駅前の風景
「伊達駅前」の奥には機回し線がある貨物線が延びていた. 1966.12.31
以下の画像5点はスキャンやり直した伊達駅前の風景
再スキャンしコントラスト強めた画像。

軌道線「伊達駅前」にあった小さな駅舎.


銭湯のような国鉄「伊達駅」の寺社造り

駅前大通りの凍り付いた路側軌道

6 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

伊達駅の風情、飯坂温泉の裏玄関のような雰囲気が良いですね。
国鉄との貨物授受も盛んだったようです。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
国鉄駅舎の正面で軌道線が直角に曲がるところにあったひなびた建屋の看板
「飯坂温泉ようこそおいで下さいませ これより4K 電車」が国鉄伊達駅を降りた客を迎えていましたね。
残念ながら私はこの看板を撮ってませんでした。
そして貨物線のずっと奥に国鉄との積替え場所があったようですが、そこも気が付かず撮っていませんでした。
この伊達駅前はセクションレイアウトのよい題材になりそうです。

京葉帝都 さんのコメント...

車体幅の狭い小さな路面電車と東北の国鉄駅前の情景、厳しい気候ながらも生き生きとした営みが伝わってきます。20年位前は伊達駅には飯坂温泉の入口を示す案内板がありましたが、今は無いでしょう。先日、伊達市の霊山へ行ったのですが、霊山子どもの村の入口付近に、福島交通軌道線の電車(1957年~1971年)が展示されていました。貴重な遺産なのですが、状態は良くありませんでした。

katsu さんのコメント...

京葉帝都さん
伊達にご縁があるようですね。
軌道線の電車は何両か保存されているようですが霊山子どもの村の1115をサイトで見てみました。
野ざらしでけっこう荒れていて、ほんとうに貴重な遺産ですが屋外保存(特に公園など)はどこでも同様の悩みですね。

今の伊達駅前をGoogleで見ると新幹線のコンクリート城壁があって昔の面影ゼロですね。
伊達に限らずどこでも驚きなんて通り越してしまう変貌です。
昔の伊達駅前の大通りにあった生き生きとした情景が益々輝いて見えてきました。
RMライブラリー162巻にあった髙井薫平さんが撮られた伊達駅前(1966年)の情景が素晴らしいです。

tantan さんのコメント...

kazama様綺麗な絵を見させて感謝です。この電車は私が小学校3年生のころに市内から姿を消したのをわずかながら覚えています。当時は自家用車の増加で止む無くフェイドアウトしたのですが、今市内にこの電車が走っていたら町興し等、市民が様々な関わり方が出来た気がします。そんな思いがkazama様の絵から感じ取っています。ところで撮影した時間がちょうど大晦日ですよね。世間が新年を祝う人が行き交っていました。そんな中での撮影のようでしたが、撮影が終わったら東京へ戻られたのですか?だとしたら相当な強行軍であったと思い至っています。

katsu さんのコメント...

tantanさん
福島市内に軌道線が残っていたら便利な市民の足になっていたと思います。
ただ、昔と違ってクルマ社会になってしまったので昔のような人と電車が共存した活気ある風景は戻ってこないと思います。

この前日に東野鉄道を撮ってから郡山の待合室で夜をあかし朝一番に薄暗い福島市街からとり始めました。
丸一日福島交通を撮り夜行列車で正月の東京に戻りましたが、確かに睡眠不足できつかったです。
冬休みに大晦日にかけて撮りに行くことはよくありました。
正月は街が静まり返っているので大抵は大晦日に夜行列車に乗って東京にもどります。