案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年5月29日水曜日

碓氷峠のアプト式撮影会3

記録によれば熊ノ平からまたバスで移動し碓氷峠を越して碓氷橋をしばらく行ったところにある茶店で休憩し、そこから引き返して碓氷橋を撮って茶店にもどった。ここからはバスに乗らずに線路ぞい撮りながら下の横川に近いドラインブインまで歩いた。
熊ノ平から横川へ向けて撮った写真の順番は以下の通りであった。

撮影:1963年7月21日
 軽井沢へ上る先頭のED42 熊ノ平

 後部のED42×3両 熊ノ平

ここは有名な撮影ポイントのようだ。丸山信号場-熊ノ平

 碓氷峠のハイライト 碓氷川橋梁を軽井沢へ向かう。




68パーミル最急勾配を軽井沢へ上っていく後部ED42×3両 横川-丸山信号場
ここでロッドから飛んできたグリース(オイル)をズボンに引っかけられた(名誉な汚れ)

esehokuさんのコメントで走行音の話がありましたので、調べたらこちらのyoutubeでも走行音を聞くことができます。

4 件のコメント:

N品川線 さんのコメント...

 katsu 様
スコッチヨークの回転数は横川から丸山信号所まではグァン・グァン・グァン・グァン・グァンと軽快に1秒間で2回転程度、丸山信号所を過ぎてアプト区間に入ると音が大きく重厚になってグワーオーン・グワーオーン・グワーオーンと1秒間に1回転程度でして、無音の映像からも回転数の違いが確認出来ます。さらに丸山信号所を過ぎてアプト区間に入ると線路は直線の勾配になり、窓から身を乗り出して見ていて垂直としか思えない勾配をED42はグワーオーングワーオーンと叫びながら這い上って行くんですね。凄いなーと感嘆しましたよ。
 当時ビクターからと思いますが鉄道シリーズとしてLPレコードが発売されていまして、その中に アプトED42 が有り走行音を聞けます。当方は鉄道シリーズは アプトED42 と C53の復活 をリアルタイムで買い込んでいます。
 また、ここは多分有名撮影地、と記してある写真の撮影地は、写真の左手に碓氷湖を望むところでしょう。当方は右手の国道より撮影しました。写真の右下先にはトンネルが有りその上に当時茶店がありまして、そこから碓井湖のボート乗り場に舗装道路が繋がっていましたが、10年ほど前に行った時はパイプ製の扉で通行止めになっていました。
あのトンネルの真上からどなたかが撮影した写真が、当時発行の鉄道ピクトリアル誌に2ページ見開き大で掲載されています。

katsu さんのコメント...

N品川線さん
コメントで先頭車両の窓から身を乗り出してスコッチヨークの音を確認したとありましたが、
アプト式機関車ED42の音をマンガで使われるような擬音語で表現するのが素晴らしいですね。
丸山信号所前後での音の変化やアプト区間の喘ぎ音などよく伝わってきました。
素晴らしい乗車体験をされたことが羨ましくなります。
こういう擬音語は動画とは違って漫画のような言葉による描写の効果が出るのでしょう。
この擬音語を静止画像に被せてみたくなります。

スコッチヨークで駆動される粘着台車、そして前後粘着台車の間に位置するラック台車、
それらを駆動する主電動機からの伝達機構が奏でるハーモニーなのでしょう。

esehoku さんのコメント...

「有名撮影地」の碓氷湖の所、廃線跡は現在 歩道整備されていますが、当時の雰囲気がよく残っていると思われます。
国道から碓氷湖に降りて行く道が、結構な下り勾配になっていますから、それと相対して上り勾配になっている碓氷線跡は、見かけ上、余計に幹線離れしたとんでもない急勾配に見えます。
実際、歩いてみても予想よりもきついですし、勾配の強さも実感できます。
下り勾配の方が恐ろしくて、機関士さんが「ブレーキが効かなくなる夢を何度も見た」と言っていた、という話も聞きました。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
碓氷湖の近くのこの辺りは大変な勾配だったようですね。
バイパス道が完成する前この旧道を車で走っていた時代に
関心があれば私も立ち寄っていたと思います。
今、行って見てみたいものですね。