案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年10月29日月曜日

遠鉄奥山線 元城 1

春の陽を浴びた奥山線を整理してまたやってみたくなりました。

撮影:1963.4.4
元城駅
 
モハ1002 + ホハ1106 元城

遠鉄浜松から二つ目の元城駅と車庫の全景 元城車庫全景。今はここがホテルですか。

奥山線の顔

遠鉄浜松駅 
隣りの遠鉄西鹿島線と並行する遠鉄奥山線。架線高さは西鹿島線と同じで、小さな車体の屋根に、目いっぱい上げたパンタが大きいこと。


 素敵な丸妻客車 遠鉄浜松駅

遠鉄浜松を発車するとカーブして川沿いを走る。
遠鉄浜松 - 北田町 時を経て一段と魅力的になってきた凄い家並み。

川沿いにあった一つ目の駅、北田町

元城に向かう沿線の住宅の造りが如何にも昭和30年代を表している。

いかに会社がバス事業にシフトしていたか、ボロ車庫とは対照的な立派な遠鉄元城寮(バスガイド社員寮)が左手に見える。


車庫に休む電車と気動車。

 元城工場の内部とDC1901

近くを走る遠鉄二俣線(現西鹿島線)の赤い電車。

2018年10月28日日曜日

駿遠線を初めて訪問した時。

1963(昭和38)年春、遠鉄奥山線の奥山まで撮りに行った帰りに初めて訪問した静岡鉄道駿遠線。東海道線袋井から二つ目の諸井あたりで初めて撮った沿線風景で、驚きの蒙古の戦車が牽く列車が次々と現れたのはこの時であった。気動車も客車もその全てが初めて見る車両ばかりで、この時の驚きと感激は二度目の訪問以降では薄くなってしまった。

撮影:1963.4.4 諸井近辺
自社製気動車が木造客車を牽いて竹藪に消えて行く。

諸井に到着するDB機関車が牽く列車。

DB機関車が客車1両だけ牽いて現れる。
赤ん坊を背負ったお母さんが後部のシートに座って、過ぎ去る景色を眺めている。

東海道線袋井駅の片隅から発車していた小さな車両達の駿遠線。

袋井で見た車両たち(蒙古の戦車は過去に掲載済みで除く)
キハD8 日車製

ハ8 岡部鉄工所製  旧佐世保鉄道 ハ7

ハ11 日車製

ハ7 日車製

ハ10 日車製

キハD4 日車製

ハ107、ハ112  袋井工場製

袋井工場の脇を行くDBが牽く列車。

袋井工場の部分拡大。

2018年10月26日金曜日

ビネガーシンドローム対策

今回の写真集と写真展に使ったネガ全点を、グラシン・スリーブと紙箱に収めてネガの保存を最適にしてみました。お菓子の空き箱(紙)のような箱でほんとうに効果があるのか。まあ、これまで缶に密閉して来たネガよりもマシだと思いやってみました。50年以上経ったネガがあと何年生き延びられるか。

コスモインターナショナル製 GSF3510 グラシン・スリーブネガ 袋

コスモインターナショナル製 MC1012 マイクロチャンバー保存箱(紙箱) 

50年前後経ったネガをビニール・スリーブ→グラシン・スリーブに入替えて、マイクロチャンバー保存箱に収納したもの。

2018年10月23日火曜日

花巻電鉄 西公園停車場の部分拡大

1964年夏にオリンパスペンSで撮った西公園停車場は大変気になる1枚です。部分拡大して見るといろんなことが分かります。


西公園停車場。1964.08.02

以前から気になっていたこの一角、部分拡大して見るとゲタを履いた学生が木のベンチで寝ているようです。その脇の隅には掃除道具が積んである。ガラス越しに見える待合室はこんな軌道線にしては広そうだ。

駅には赤ん坊を背負って乳母車を持った母親が。そして電車に乗るための踏み台が2ヶ。 待合室入口に置いてあるのは椅子2脚か。

その先の建屋にある看板が読み取れます。軌道は砂利というよりほとんどドロ軌道、ここから専用軌道に入り軒をかすめて西花巻へ向かう。

以下は35mmフィルムで撮影
通りの商店の看板や建物がなんと魅力的なことか。そして道路を歩く人がなんと多いことか。

街へ出掛ける乗客で客車内は満員、そこへ学生たちが乗り込む。踏み台は使わないのか?
ゲタを履いた学生は下り列車を待っているのだろう。

2018年10月21日日曜日

仙北鉄道の雄大さ

先日の軽便祭り講演会では、プロジェクタで投影して初めて分かった仙北の雄大さのご意見がありました。PCや本の写真と違って大画面は別もの。そして写真展の大画面もPCや本の写真とは別もの。


仙北鉄道貨物の凸凹編成。 講演会より

仙北鉄道スイッチバック米谷の雄大さ。 講演会より

仙北鉄道スイッチバック米谷の雄大さ。 講演会より

貨物長大編成に合わせて駅構内もゆったりしている。 講演会より

2018年10月12日金曜日

写真展 10月12日

皆さまのご来場ありがとうございました。
いよいよ明日から最後の3日間となりました。
開催は10月15日(月)までで、最終日は16:00終了です。

ここから始まる1日

後半、写真集の売れ行きが加速する。嬉しい悲鳴です。

人気の巨匠のジオラマ福島交通軌道線。

テーブルでは熱心な地方私鉄時刻表のファンが来訪。地方私鉄ファンは意外に多いのですね。とても熱心な人ばかり。

2018年10月9日火曜日

写真展 10月7、8日

7日と8日の写真展では長崎市街の写真に、ふるさとを見つけた長崎出身者が二人も来場しました。長崎で育ちその後東京に来られて、写真のあの時代からそれぞれが51年の人生を送って、今こうして新宿でめぐり会う不思議なご縁である。

「これ俺の家だよ!」
来場者から「これ俺の家だよ!」の声、生まれ育った51年前の長崎市街の写真に我家を発見。この写真の時は8才くらいだったそうだ。気になっていた周辺の古風な建物についていろいろ教えてもらうことが出来た。

拡大してみると。

「ここが私の女学校よ!」
そしてその翌日も長崎出身者が現れる。51年前の長崎市街の写真で「ここが私の女学校よ!」、「ここが私が住んでいたところ」と長崎の元女学生が現れた。それは何と昔googleで調べていたあの活水女子大(現名称)であった。

51年前の長崎電軌と活水女子大(現名称) 1967年3月
背後に見えるいかにも長崎らしい建築が気になってさんざん調べたことがあった。
昨日のご婦人は私と年齢が近いのでこの写真の頃、女学生でこの女学校に通っていたことになる。

 「ここが私が住んでいたところ」

 会場風景