案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2025年11月16日日曜日

11月9日の週

毎年行事が集中する11月。
9日の週はSLの話題が続いた。

9日は会社OB会で宇都宮LRTと真岡線SL列車乗車。冷たい雨降る日だった。

11日に稲門鉄道研究会(早大OB)写真展へ。
その帰りに書泉グランデで究極の鉄道写真集「鉄道写真 広田尚敬」をしっかり拝見。
稲門写真展を伴にした友人(SLファン)と米坂線のことが話題になった。


真岡線SL列車.真岡


真岡キューロク館の美しい96.

稲門鉄道研究会(早大OB)写真展
SLが美しかった時代のモノクロ写真を拝見.

美しい96で思い出したのが63年前に西舞鶴で初めて見た96、そして米坂線の96.



私が初めて96を撮ったのは夕方の西舞鶴駅だった. 1962年夏

先日の稲門鉄道研究会写真展を伴にした友人(SLファン)と米坂線のことが話題になった。友人は米坂線を6回訪問し1971年秋が最後の訪問だったそうだ。
私が訪問したのも同じ1971年秋で、SLブーム到来の時代だったのか宇津峠越えでは三脚持ったファンをいたる所で見掛けた。ただ、この頃は96牽引の旅客列車は少なくなって米坂線の良き時代は終わっていたようだ。

米坂線1971年春

米坂線1971年秋

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