つまらぬもの、削除、貴方様でもそんな想いに捉われるのですね。一時の気の迷いはあるかと思いますが、訪問者から見ればそんな事はありません。一枚一枚が持つ(知らずに籠められている?)過去の景色、細部全てを堪能しております。どうか、ありったけ全部、吐き出すようにアップしてください。ピンボケは困りますが、全ては今行って見れない貴重な記録です。大切になさってください。
こういう形式写真は、模型工作を行う者にはとても貴重で助かります。ピンボケでもいいです。初めて見た車両などもあり、とても参考になります。いつも楽しみにしております。ありがとうございます。
梅枝老さんコメントありがとうございました。解説書がついた車両写真集のサイトは、情報の信頼性が高く良くできたサイトが一つあるので、私は便利に使わせてもらうことがあります。敢えて同じようなありったけの車両写真集をつくる必要はないと思っています。もともと車両写真を撮った目的は模型製作のためだったので、模型のための車両写真集でも作れば役に立つのかも知れません。
このたびのランダムアップの勇気に、感謝を申し上げます。これらのお写真は貴重かつ、かけがいのないものばかりです。思えば駿遠線の客車は、ことに木造車は車内が狭く、イスもベンチのように固く、冷房はおろか暖房すらありませんでした。また車内灯も薄暗い白熱灯で、冬場の夕方や夜の侘しさはひとしおでした。始発駅では満員だった車内でも、停車駅ごとに乗客が減って行き、家に一刻も早く帰りたい思いがしたものでした。一方で朝の通勤・通学列車も超満員で、車内はすぐいっぱいになって、デッキに立つこともしばしばでした。これが大井川橋梁を渡る時は、悪天候の場合など普段より速度が遅く、デッキから落ちないように手摺を固く握り締めていました。それが冬場など、手袋にオーバーを着ていても寒くて、手先が凍り付くような気がしました。こんな思いで乗っていた軽便鉄道ですが、それだからこそ思い出も愛着も深く強いのかもしれません。ちなみに駿遠線の木造客車がオープンデッキではなく、ベスチビュール式なのは、この大井川橋梁での強風の影響を少しでも和らげるためでした。このためハ8・9のような貫通扉の付いた車両では、それが固く塞がれていました。このような懐かしい車両たちをアップしていただき、このたびは誠にありがとうございました。
匿名さんありがとうございます。今、私は模型も作ることがないので車両写真の羅列に関心が薄くなってしまいました。熱心な模型ファンはまずは車両写真ですね、よくわかります。
匿名さん駿遠線の逸話をありがとうございます。サイトに蔓延している車両の解説・経歴よりも、こうした車両にまつわる逸話には大変関心があります。それは体験した本人でないと書けない情報であり、原典がある車両情報とは大きく異なります。もし私がここに書かれた逸話を持っていたなら、それに係わる車両写真の取り上げ方も異なってきます。失われた日本の風景として、もし逸話のような場面を沢山撮っていたら大変に貴重で使い道が多々ありますね。
貴重な写真を拝見させていただき、ありがとうございます。各客車を3Dプリントで作るつもりで、作図の参考にさせていただいています。バス窓になったのはハ107からですので、ハ106とハ107の番号が振りかえられているようです。ハ108とハ112も番号振替があり、駿遠線は途中が途切れてから袋井側、藤枝側といろいろ複雑です。
くるまやさん駿遠線の客車を3Dプリントで作るとは凄いですね。我々が楽しんだ時代の模型とは大きく世界が変わった感がします。昔ながらのやり方で進めると図面作成するだけで大変、図面が完成してしまうと安心してお終いの私です。
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8 件のコメント:
つまらぬもの、削除、貴方様でも
そんな想いに捉われるのですね。
一時の気の迷いはあるかと思いま
すが、訪問者から見ればそんな事
はありません。一枚一枚が持つ(
知らずに籠められている?)過去
の景色、細部全てを堪能しており
ます。どうか、ありったけ全部、
吐き出すようにアップしてくださ
い。ピンボケは困りますが、全て
は今行って見れない貴重な記録で
す。大切になさってください。
こういう形式写真は、模型工作を行う者にはとても貴重で助かります。ピンボケでもいいです。
初めて見た車両などもあり、とても参考になります。
いつも楽しみにしております。ありがとうございます。
梅枝老さん
コメントありがとうございました。
解説書がついた車両写真集のサイトは、情報の信頼性が高く良くできたサイトが一つあるので、私は便利に使わせてもらうことがあります。敢えて同じようなありったけの車両写真集をつくる必要はないと思っています。もともと車両写真を撮った目的は模型製作のためだったので、模型のための車両写真集でも作れば役に立つのかも知れません。
このたびのランダムアップの勇気に、感謝を申し上げます。これらのお写真は貴重かつ、かけがいのないものばかりです。思えば駿遠線の客車は、ことに木造車は車内が狭く、イスもベンチのように固く、冷房はおろか暖房すらありませんでした。また車内灯も薄暗い白熱灯で、冬場の夕方や夜の侘しさはひとしおでした。始発駅では満員だった車内でも、停車駅ごとに乗客が減って行き、家に一刻も早く帰りたい思いがしたものでした。
一方で朝の通勤・通学列車も超満員で、車内はすぐいっぱいになって、デッキに立つこともしばしばでした。これが大井川橋梁を渡る時は、悪天候の場合など普段より速度が遅く、デッキから落ちないように手摺を固く握り締めていました。それが冬場など、手袋にオーバーを着ていても寒くて、手先が凍り付くような気がしました。こんな思いで乗っていた軽便鉄道ですが、それだからこそ思い出も愛着も深く強いのかもしれません。
ちなみに駿遠線の木造客車がオープンデッキではなく、ベスチビュール式なのは、この大井川橋梁での強風の影響を少しでも和らげるためでした。このためハ8・9のような貫通扉の付いた車両では、それが固く塞がれていました。このような懐かしい車両たちをアップしていただき、このたびは誠にありがとうございました。
匿名さん
ありがとうございます。
今、私は模型も作ることがないので車両写真の羅列に関心が薄くなってしまいました。
熱心な模型ファンはまずは車両写真ですね、よくわかります。
匿名さん
駿遠線の逸話をありがとうございます。
サイトに蔓延している車両の解説・経歴よりも、こうした車両にまつわる逸話には大変関心があります。
それは体験した本人でないと書けない情報であり、原典がある車両情報とは大きく異なります。
もし私がここに書かれた逸話を持っていたなら、それに係わる車両写真の取り上げ方も異なってきます。
失われた日本の風景として、もし逸話のような場面を沢山撮っていたら大変に貴重で使い道が多々ありますね。
貴重な写真を拝見させていただき、ありがとうございます。
各客車を3Dプリントで作るつもりで、作図の参考にさせていただいています。
バス窓になったのはハ107からですので、ハ106とハ107の番号が振りかえられているようです。
ハ108とハ112も番号振替があり、駿遠線は途中が途切れてから袋井側、藤枝側といろいろ複雑です。
くるまやさん
駿遠線の客車を3Dプリントで作るとは凄いですね。
我々が楽しんだ時代の模型とは大きく世界が変わった感がします。
昔ながらのやり方で進めると図面作成するだけで大変、
図面が完成してしまうと安心してお終いの私です。
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