案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年3月26日日曜日

広島市内線の単車

昭和42年3月の朝、広島駅前で市内線を初めて見た時、アクが強過ぎて強烈な印象だったのが150形単車であった。大きな丸みがあるオデコと屋根、これぞ戦前から活躍し戦災をくぐりぬけてきた広島の路面電車のイメージがしたものだった。
この時は余りに強い個性で関心が薄かった150形だが、最近、映画で話題となったあの「江波」の行先表示を見つけると俄然関心が湧いてきた。この時に活躍していた単車150、400、450形を改めて見てみようと思います。

映画「この世界の片隅に」ですっかりお馴染みとなった「江波」行き単車.
6系統150形155.広島駅前 1967.03.07
150形は全長が9mもあり単車の中で最も大きい

朝のラッシュ時に次々とやってきた単車.6系統 150形157 

7系統横川行き150形159

6系統150形156(江波車庫保存車) 十日市町

3タイプの中で最も全長が短い400形.魅力的なスタイルの単車で、拘りの映画に描かれたのはこのタイプだったのだろうか?  400と450は側面の窓が5つしかない。 

400と類似の450形

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

先日「この世界の片隅に」を観ました。単車の登場は印象的でしたね。
広島の電車が、今も市民に愛されてるのは素晴らしいことだと思います。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
観ましたかあの映画。
私は出だしの江波の場面をよく覚えてなく広電単車を確認できませんでした。
まさかこんなに高い評価を受ける作品とは知らず、始めはぼ~としていて途中からぐいぐい惹きこまれました。
どうも単車は400形らしいのですが、もし400型としたらその拘りが凄いですね。
単車は1両が大切に保存されているようですね。