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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年3月22日火曜日

あれから3年 下北沢駅

数年前の今日が出てくるFacebookで「今日で最後の下北沢駅」が出てきました。
あの日2013年3月22日からもう3年も経つのですね。


FBで使った2048pix画像。

ブログのアーカイブ

6 件のコメント:

なと。 さんのコメント...

毎日通勤で通りますが、地下になっただけで朝は相変わらず電車が数珠繋ぎ!目眩がします。

katsu さんのコメント...

なとさん
下北沢、毎日の通勤で通っていたのですか。
50年以上昔も朝は下北沢の手前から詰まっていました。
これに関しては何も変わってないのですね。
悲願の複々線化は2017年度から運転開始なんですね。

なと。 さんのコメント...

50年以上前も朝は線路容量が一杯なのですか。
複々線になっても代々木上原から新宿は複線ですから、今以上に千代田線直通を増やすことになるのでしょうね。
でも新宿始発が減ったらそれはそれで座って帰れるチャンスが減るし・・・

katsu さんのコメント...

なとさん
50年以上前の殺人ラッシュと停滞は今どころではなかったです。
当時は列車編成などで輸送キャパシティが今とは比較にならないくらい小さかったですが。
ひどい混雑で、窓ガラスが割れたり子供は連結面の運転室に入ったり・・
一度ブログに掲載したことがありますが変なコメントが入ったため記事を消去しました。

esehoku さんのコメント...

50年は経ちませんが、約35年前の学生時代、総武線(中央緩行線)の秋葉原~新宿間もひどいものでした。
窓ガラスが割れて急遽ベニヤ板を当てていたり、もっぱら女性の靴がいくつもホーム下に落ちていたり、直接は見ていませんが、ホームと電車のドアの隙間に足を挟まれて怪我をした人もいたそうです。
首都圏ではラッシュ解消が悲願でした。今は随分と楽になったように思います。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
35年前の中央緩行線もそんなひどい時代があったのですか。
今でも山手の上野~秋葉原の混在も変らないみたいですが、
昔のような朝の異常な状況はどこでもなくなったと思います。