案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年8月11日火曜日

marimoさんが撮ったあの頃の東武1

昨夜は東武鉄道 C11復活運転のニュース のせいか、過去記事「東武鉄道 廃車古典機-4」のアクセスが急上昇。昨年アップした東武蒸機の記事(2014年3月)を読み返してみるとmarimo(故田辺多知夫)さんとあの頃(昭和38年頃)の東武鉄道のことが思い出されます。

marimoさんと初めて出会ったのは1963年11月23日ケネディ大統領暗殺のニュースが飛び込んできた日でした。私が業平橋の廃車群を撮りに行ったのがその翌日11月24日。marimoさんが中千住を撮った日付を見ると1963.09.25、二人が知り合う直前に彼は東武の現役8号機を撮りに行っていた。そして2カ月後、業平橋の廃車群の中に号機銘板はがされた8号機がいたのでした。

 中千住駐泊所の58号機.  1963.09.25
昨年の「marimoさんを偲んで中千住貨物線」にアップした画像2点です。
京成の下を抜け道路を渡り中千住駐泊所へ向かう8(3代目)号機ピーコック 1963.09.25

以下はこの日 marimoさんが撮った8号機とあの頃の東武。

8(3代目)号機ピーコックが活躍していた最後の姿。1963.09.25

いかにも東武の野武士という感じの電車がまだ走っていた頃。1963.09.25


2か月後、業平橋の廃車群でC112の前に8号機がいた。業平橋 1963.11.24

2 件のコメント:

なと。 さんのコメント...

東武鉄道のピーコックとネルソン。
自分にとっては写真だけしか知りませんが好ましく、イギリス形の優美な姿も空制化やテンダー増量化されても、実用本位で逞しくて悪くないと思います。

東武博物館の6号機が動いたらうれしいのですが。
やっぱり東武と言えばよんよんれい!

katsu さんのコメント...

なとさん
本当にピーコックとネルソンは東武の末期の姿も美しいですね。
機械設計の合理的な美しさとイギリスの美的センスが感じられる惚れ惚れする美しさ、
こんな車両が100年以上も昔に生まれたのが信じられません。
それに比べて今のデザインは・・・
よんよんれいと言えばボールドウィンのアメリカンよんよんれいもありましたね。
あんなアメリカンが東武を走ったとは驚きで信じられません。