案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年12月15日火曜日

花巻電鉄 中央花巻~西花巻

中央花巻と西花巻の位置関係を現在の地図上に描いてみました。鉄道線(中央花巻~花巻温泉)は東北線を越え西花巻から花巻へ出てそこから花巻温泉へ向かいます。

↙ 軌道線

ガラガラの電車が中央花巻を発車し右へカーブする.

中央花巻を発車した電車は家並みの間をカーブし東北線を越えると西花巻に到着する.1964.08.02

花巻、西鉛温泉行の軌道線はここでスイッチバックする.


西花巻駅の客車付け替え風景.

軌道線(花巻~西鉛温泉)はこの西花巻でスイッチバックする。写真は西鉛温泉方面からドアまで客を満載した上り列車がやってきたところで、満員の客を乗せたままここで客車を付け替えて花巻方面へと向かう。右手にはバス営業所がありボンネットバスがたむろしていた。


花巻へ向って発車した軌道線の電車.

満員の客を乗せた電車が到着すると、客車を切り離し、機回り線を使って付け替える。ホームではお客がその作業が終わるのを待っている。この翌年、西花巻~中央花巻間が廃止され、その後スイッチバックのY字の線路配置も消滅した。

花巻から下りが到着. 西花巻

夕方はこんな編成もあった。写真は西花巻から花巻へ向かう上り列車だが、それにしてもお客が多い。満員盛況の電車。


2015年12月4日金曜日

北恵那鉄道

1978(昭和53)年9月に廃止された北恵那鉄道、かって岐阜県中津川市の中津町駅と恵那郡付知町(現中津川市付知町)の下付知駅を結んでいた。素晴らしい沿線風景を走る素晴らしいカラーリングの電車で地方私鉄の中でも人気の高い路線だったでしょう。何故撮りに行かなかったのか? 1960年代に私はまだその魅力を知りませんでしたが、田辺さんはこの素晴らしい電車を1978年にカラーで撮っていました。撮影日不明ですがたぶん廃線間近い頃と思われます。
尚、Youtubeに地元高校生が撮った素晴らしい ローカル線「北恵那鉄道」廃線記録8mm映画 があります。

有名な木曽川橋梁を渡る.撮影:田辺多知夫

2015年11月19日木曜日

九州夜行列車 1枚の写真

九州の地方私鉄、路面電車めぐりで毎夜宿代わりに利用した夜行列車。この1枚は確か鹿児島で夜行列車に乗り早朝の鳥栖に到着した時でしょう。駅で顔を洗いパンをかじり熊本へ引き返したのか、あるいは長崎へ向かったか? 
そんな1枚をスキャニングした後、トリミングもゴミとりも調整も何もしないでリサイズだけした画像を試してみました。これは楽です。


早朝の鳥栖 鹿児島発の夜行列車 1967.03.02 


1967年3月1日、鹿児島20:11発の門司行夜行鈍行列車に乗り込む。鈍行列車のせいかお茶や弁当売りはほとんどやって来ない。隣の急行発車ホームには駅弁もたくさんあったのに・・・・。改札が始まっても乗り込んでくる客はまばらで西鹿児島で地元の客が乗ってきて少しだけ席が埋まったがすぐにガラガラの夜行列車となった。一人で1ボックス占領し今日一日の疲れでぐっすり眠れそう。

翌3月2日4:41定刻に鳥栖に到着し隣のホームに停車しているローカル列車に乗り込んで目が醒めると博多に到着。鳥栖で長崎行に乗ったつもりが列車は逆方向の長崎発門司港行きであった。博多で6:49発急行「雲仙 西海」C60牽引列車に乗って引き返し長崎へ向かう。長崎に10:27到着したとたん南国の明るい太陽のもと異国情緒豊かな音楽が聞こえてきて南国ムード満点であった。

と、旅の記録を読み返してみると狂電関人さんご指摘の通り朝の陽ざしの方向からすると写真は東京発長崎行きの下り夜行列車急行「雲仙 西海」かも知れません。

2015年11月15日日曜日

多摩湖線のN101系

昨日朝、西武新宿線の上石神井近くの踏切でふと見ると新宿線からは消えたはずの3扉車が?  よくよく顔を見れば懐かしいN101系で4両全電動車263Fの回送でした。
通常は多摩湖線で営業運転しときどき機関車代わりに新秋津ありに出没する263F、今でも多摩湖線を走っているのでしょうか。ノーマルN101系が白一色塗りになってからすっかり遠のいてしまった多摩湖線の今を見に行きたくなってきました。

263F   一橋学園-国分寺  2009.11.15  
2007年春に入線した4両全電動車のN101系263F、デカい抵抗器をぶら下げ、全車両モータ付のパワフル電車はまるで大型模型のよう。今日はどこの舞台裏にいて何をやっているのか、西武新宿線ファンからいつもその日の所在を追跡されていた(当時のはなし)。多摩湖線で「1両目パンタグラフ付」通称"前パン"はこの全電動車だけ。

261F 一橋学園-国分寺 2009.11.15
あの頃、もう一つの多摩湖線名物がN101系261Fで2008年春の陽気の中をリバイバルカラーに化粧直しして登場した。窓回りが懐かしいの昔の西武の淡いうす茶に塗られ、このリバイバルカラー車が多摩湖線専用に走っていた。

朝の本町信号所(一橋学園-国分寺)を行くN101系   2010.02.08
朝、巨大エレクトロニクス産業に向かう通勤者の連なる光景には驚かされた。その後、あの巨大エレクトロニクス産業はどうなったのでしょうか。

2015年10月23日金曜日

昭和38年 富山駅前

昭和30年代後半の日本の変貌期は私にとって最も昭和らしさを感じる風景であった。さらに時代を遡ればいくらでも凄い世界があるが私はカメラ普及以前の「手の届かない世界」はとっくに諦めている。昭和の風景とはどの年代をさすかは、見る人の年齢によって様々異なるのでしょう。

昭和38年の富山駅前のこんな風景も私にとって昭和の風景を感じさせてくれる。この頃の路面電車がある街風景は、どこの街でも人々が溢れ背景には薄汚い街並みや看板が写っているのが特徴であった。まだクルマ社会到来前で路面電車や駅前通りに活気が溢れていた。

撮影:田辺多知夫 1963.07.12 富山駅

 笹津行き電車と朝の通勤通学客で賑わう「富山駅前」

駅前旅館「月見旅館」が見える「富山駅前」。
写真に見える月見旅館の二階から朝の路面電車を撮ったのは昭和37年だった。
市内線単車と笹津線の高床電車が並らぶ駅前。当時、薄汚いこんな街並みは日本のどこにでもあった。
現在の富山駅前をストリートビューでここかる見ると興味深いです。

朝の通勤の人々

富山港線

 富山地方鉄道

蒸機がいくらでもいた富山駅

2015年10月17日土曜日

昭和39年 何だこれは! の金沢4

翌年の昭和39年10月に田辺さんは再度北陸鉄道を訪問し小松線、石川線、市内線を撮っていました。この頃の小松線は北陸鉄道各線から玉突きで追い出されてきた古典物や小さな車両の寄せ集め場で、写っていた漫画に出てきそうな小型電車に目が惹き付けられました。

1971年に金石線からモハ3000形5両が入線したのを境に、それ以降は廃線まで何の変哲もない路線になってしまった小松線ですが、1971年まではこの小型電車が在籍し、さらに1965年までは種々雑多なトレーラや2軸電車が在籍し、北陸鉄道各線の生き残りが集められた貴重な路線であったのでした。
1962(昭和37)年に私が訪問した時の 北陸鉄道 小松線1(大画像にリニューアル)に奇怪な車両たちを紹介してあります。

撮影:田辺多知夫 1964.10.05  撮影場所全て小松 
ちっさな日鉄自動車製の兄弟モハ1002+モハ1001   1971年廃車
北鉄松金線→小松線 近江鉄道と同形


笑える可愛い電車モハ1001
オデコを何にぶつけたのか凹んでいる。

モハ1201  1971年廃車
能美電気鉄道(能美線)木南製デホ→金石線→小松線

サハ701+モハ502  1965年廃車
左 サハ701金石電気鉄道(金石線)デハ→サハ→小松線.前年に大野港駅の奥にいた単車.  
右 モハ502、501白水電気鉄道(小松線)デハで開業時からの電車.

モハ1814
加南線→金石線→小松線


昭和39年から数年後の昭和42年の小松線. 1967.09.29  撮影:katsu
雑多なトレーラは1965年までに整理され小型電車の時代が1971年まで続いた。

 1001のオデコの傷は治っていてツートンカラーになった.1967.09.29
昭和42年のこの明暗あるツートンは北鉄カラーでしょう。

モハ1201と1002

小型車3両が健在で、まだよき時代が続いていた小松駅

2015年10月7日水曜日

第11回 軽便鉄道模型祭2

軽便モジュール倶楽部 尾小屋鉄道 観音下の鉱山ケーブルの下を行く。

1970年11月

尾小屋も沼尻も鉱山鉄道であったが、それとは異質の旅客営業のない鉱山専用鉄道は私にとって未知の世界。こちらは色合いが一変する。2フィータの世界は興味深々で神岡や明延のような客扱いの客車(超珍品)が組み込まれると変化あって楽しいのだが。

Oナローモジュールクラブ  Oナロー2 12 1/48 鉱山機関車

 Oナロー2 12の下に並んだOナロー16.5mmがまとも過ぎに見えた。

2015年10月4日日曜日

第11回 軽便鉄道模型祭1

昨年は行けなかった軽便まつり、今年は行ってきました。
今年も素晴らしい作品の数々、とても全てを十分に見ることは困難で好みの旅客扱いの軽便鉄道からレポートしてみます。
毎度思うのですが軽便鉄道の作品を撮るとどれも実物以上に美しく見える、それは軽便車両のカラーリング、昭和の街並みの色、季節感あふれる樹木の色、そんな色合いと緻密に作り込まれた工作力で軽便鉄道の美しさが引き出されるのでしょう。

軽便モジュール倶楽部  尾小屋鉄道「郷谷川橋梁」 1/87 9mmナロー

軽便モジュール倶楽部  尾小屋鉄道「金野町夏の田園」

馬面電車の走る秋 ~福島電軌道ものがたり~  1/87 9mmナロー
12mmではなくNゲージの下回りを利用したところが凄いアイデアです。

昭和のジオラマの題材が溢れていた福島の軌道線.昭和39年夏

Oナローモジュールクラブ  草軽電鉄 落葉松沢駅  1/48 O番ナロー

Oナローモジュールクラブ  今回の注目のシーンだったのですね。
1/48 ナローのレールが美しい。

小茂内鉄道 山奥線  1/87 9mmナロー
TMSに発表されたあの思川鉄道のインパクトはやはり相当なものだったのですね。