案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年7月26日土曜日

昭和42年春 長崎の路面電車(車両編)

昭和42年春に在籍していた車両はその後イベント用となった保存車(150、160形)を除くと200~500形が今も現役で活躍しているようで、各形式の車両写真を並べてみると改装前の当時の姿が判る。200形以降は全て自社発注車で他線からの入線車はまだ居なかった。

長崎の路面電車風景を取上げた過去の記事は↓にあります。
長崎電軌 大浦支線 ・・・7月21日にリンク紹介済
長崎電軌 蛍茶屋支線

撮影日: 全て1967.03.02. 
その後原形に復元され保存されている160形(元西鉄) 西浜町 
原形よりもこの頃の姿に魅力を感じてしまう。

170形(元西鉄) 長崎駅前 

201形(200形奇数番) 海岸通り

202形(200形偶数番) 長崎駅前

202形 長崎駅前
昭和42年の地方大都市には既に車が溢れていた。
野山を行くローカル路線と違って、車が被さらないように撮る路面電車に疲れ果て、
九州各地の路面電車を撮るのが嫌になった事もある。観光めぐりの旅なら楽なのだが。

211形 西浜町

300形 長崎駅前

370形 長崎駅前

最新の500形 賑橋

ハーフサイズカメラ(オリンパスペン)で撮った昭和42年の長崎電軌のカラー2点。
当時のグリーンとクリームの標準カラーで今も変わらず活躍しているようだ。


1962年に導入された370形   長崎駅前 1967.03.02.


370形広告塗装

2 件のコメント:

岡村順一郎 さんのコメント...

まだワンマン化されていない200形、300形、3700形など原型スタイルと思われる写真を拝見させていただきましたが、私が撮影しましたワンマン化後の写真と比べると、前面窓がシンプルで好感を持てるスタイルをしていたと実感しました。

katsu さんのコメント...

岡村さん
私は長崎のその後のことを全く知らないのです。
そうでしたか、あれからワンマン化で改造されたのですか。
確かにあの頃はすっきりしていましたね。
これらを撮っていた頃はありきたりの電車と思っていましたが
今になって見ると確かによいスタイルをしていたと思います。
今の時代はこういうシンプルのスタイルが何故生まれないのでしょうか。