案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年2月7日金曜日

熊本市電 47年前の健軍町

熊本市電の最終回は県道28号線市電通りを終点まで歩いた47年前の健軍町近くの風景です。
この日は小雨交じりの寒い初春であったせいか風景がなんとも暗い。

健軍町側から水前寺方面を見る  1967.03.04

健軍町側から水前寺方面を見る

終点健軍町の近くと思われる.

ここで軌道が終わる電停「健軍町」

駅前商店街の通り

6 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

ラストの終点風景、良いですね~。
やはり路面電車は街の空気と一緒に撮られたの写真が好きです。

katsu さんのコメント...

Cedarさん、コメントありがとうございます。
今でも路面電車はほんとうに写真に撮る題材が豊富と思います。
私も大好きな、人と鉄道がスレスレ・ギリギリの世界が路面電車には多いですね。

岡村順一郎 さんのコメント...

190形195号は、ワンマン化後1090形1095号に改番され今も活躍していますが、私は195号時代の写真を残していません。また、120形は単車オンリーの時代に熊本市電初のボギー車でしたので、その収容力は重宝がられたと思います。しかし、130形、170形とともに比較的早い時期にワンマン化されずに廃車(170形は長崎電軌に譲渡)されましたのでこれも貴重です。


katsu さんのコメント...

岡村さん
コメントありがとうございます。
雨の熊本市内を歩いた記録がなくて訪問記が書けないで困っています。
撮影場所は何とか判っても、どんないわれの建物なのかサッパリ判りません。
ただただ雨の熊本だけが印象的でした。

Unknown さんのコメント...

いつも楽しく拝見しております。

47年前の健軍町、ということで写真の撮影位置についてコメント投稿させていただきたいと思います。

私は生まれも育ちもこのあたりで(現在は都内ですが)、実家はいまもここにあります。

≪1枚目≫
健軍交番前と動植物園入口の間だと思われます。撮影方向は、健軍町側からで間違いないです。
背景右後方にある石垣(盛土)はカトリック健軍教会と付属の幼稚園(さゆり園)で、現在も同じ風景です。
なお、当時の電停名は「健軍派出所前」と「水辺(すいへん)動物園入口」だったと記憶しています。

≪2枚目≫
1枚目の写真から、さらに健軍交番前寄りで撮影されたものではないかと推測します。
このあたりはもう健軍交番前の電停が至近なので、もしかしたら電停上から撮影された可能性もあるのでは
ないででしょうか。
1枚目の写真にある石垣は、健軍交番前電停付近で途切れ、現在マクドナルド健軍店があるあたりからは
軌道、道路と民家群が同じレベルで健軍町まで続きます。
なお、写真上で道路が水平から上り勾配にかわるあたりが、同植物園入口電停付近です。

≪3枚目≫
健軍町電停の降車側で。電車は健軍町止まりで、乗車側への入換待ちだと思われますが、
方向幕はすでに折り返しのために熊本駅と転換されていますね。
1968年に、この195を含む190形はワンマン改造され、現在も1095として健在です。
ワンマン化前となると、車掌が乗務していたはずなので、電停に立っている職員の方はこの電車に
乗務していた車掌さんの可能性もあります。
画面左手にある「キリンビール」の看板は、かつてあった田上酒店(現在はauショップ健軍)のものです。
ちなみにここは私の母の同級生が嫁いだ酒店になります。
右手にある九州電工、私は記憶にないのですがこの位置には、家具店がかつてあり、
その居抜きで現在はブックオフ熊本健軍店となっています。

≪4枚目≫
説明不要で、健軍町電停(乗車側)です。
電停は平成なってまもなく屋根付きに改装され、電停も車いすで乗車できる幅に広げられています。
降車側は現在も狭い(70センチ程度)ままで、車いすの降車の際は乗車側まで入換車両に乗ることになります。
背景左側にある商店はほとんど廃業しています。
背景右手の信号機が、健軍商店街への入り口です。

katsu さんのコメント...

kosuke Itohさん
各写真の詳細なる解説をありがとうございました。
路面電車の写真は撮影場所や街並み解説で大変苦労しますが、
地元の方の解説に勝るものはありません。
メールやコメントで間違いを指摘されることがよくあります。