案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年12月23日月曜日

水浜線風景 水戸市内を行く

青蛙さんの「オリンパスペンで撮った水浜線風景」の最後は水戸市内を行く風景で、
街中を行く路面電車には1960年代が色濃く写し込まれるところが魅力です。

水戸市内を行く水浜線  昭和41年5月

街から少し離れた水戸駅前から二つ目の「三高下」停車場の楽しい風景

4 件のコメント:

影武者 さんのコメント...

毛筆体で書かれた「茨城縣立原子力館」が時代の移り変わる
真っ只中なのを感じさせます。
末期は衰退著しく悲惨な状況だったようですが、需要自体は
高い事が今の大洗鹿島線とバス路線が証明していますね。
来年は上水戸から大洗まで自転車で廃線跡追ってみようかな。
ありがとうございました。

katsu さんのコメント...

影武者さん
昔の風景を知って上水戸から大洗まで水浜線跡を訪ねるのは楽しそうですね。
大洗駅のホーム跡は是非行ってみたいものです。
水浜線は廃線時までこんな素晴らしい情景を残していた事はあまり知られてなかったと思います。
惜しいことに過去の水浜線紹介の多くは車両主体であったと思います。

レールと街と人間と さんのコメント...

今でいう江ノ電みたいな風景ですね。道行く人の服装が古き良き時代の昭和を感じます。見ていると癒される思いです。

katsu さんのコメント...

レールと街と人間と さん
こういう街風景は路面電車の楽しいところですね。
写真に写る服装はその時代を表わすで、青蛙さんの写真は時代を切り取っていると思います。
地方私鉄の記録は車両だけが写った写真と、時代背景が写った写真の両方があってバランスします。