案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年7月11日木曜日

昭和40年の江ノ電風景

前回アップした1963(昭和38)年4月から2年後の1965(昭和40)年3月、鎌倉高校前から稲村ヶ崎へ向かって海岸沿いを走る江ノ電を撮り歩いてみました。

ちょうどマイカー普及の時代が始まった頃で海岸沿いをスポーツカーが快適に飛ばしているのを見掛けると、歩いて電車を追いかけているのがミジメになったものである。海岸沿いを走るこの辺りは江ノ電風景も最高潮であったが、海が見える沿線はどんどん開発されて派手なものが目につき次第に俗っぽくなってきたような気がした。沿線開発が急速に進んでいた時代であったのだろう。

鎌倉高校前-七里ヶ浜 1965.03.23
海沿いの道路にはブルーバード、大衆車パブリカなどが走っていた.マイカー普及の時代が始まった頃で、海沿いをドライブしているのは大衆車だけでなくスポーツカーもよく見掛けた.これからはマイカーを使ったレジャーが主となり若者達はマイカーに取りつかれる時代が始まる.

海沿いの道路を歩いている人は少なかった.鎌倉高校前-七里ヶ浜.

海岸通りから離れ住宅街を行く.鎌倉高校前-七里ヶ浜

鎌倉高校前から七里ヶ浜へ到着する.

七里ヶ浜を出た急カーブを曲がってまた海沿いに出る. 七里ヶ浜-稲村ヶ崎
2年前には崖を切り崩して開発中だった荒涼とした風景も整備されてきた.

七里ヶ浜ホテルの脇を行く.七里ヶ浜-稲村ヶ崎

0 件のコメント: