案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年12月6日木曜日

あの頃の小田急

雨の京都三条を撮ってから、京都22:28発の夜行急行「第2いこま」で東京に戻った。
この年(1964)の10月には東海道新幹線が開業している。
阪急京都本線でP-6や710、2300など関西大私鉄を見た数日後、あの頃の小田急はこんな風景であった。
小田急では幅広のNHE車2600形(1964年11月~)の入線直前の頃でHE車2400形が主力であった。

緑多き自然豊かな喜多見駅   1964.07.14
芋畑の向こうに三角屋根の駅舎が見え、下りホームの裏は林に囲まれた静かな住宅地.
現在の駅はコンクリート城壁のような無機質な高架駅になってしまった.

昭和34年に登場したHE車2400形
あまりに頻繁に来るのでまるでD51のように無視するがこと多かった.

2320形 準特急用2扉→3扉へ改造後

特急1700形第3次編成の格下げ車. 特急時代は前面2枚窓であった. 喜多見-狛江

平凡で特徴のない1600形 喜多見-狛江

昭和29年に登場した初のカルダン車 2200形  鶴川-玉川学園前

昭和2年開業時の遠距離用で昭和31年に更新された1200形.  鶴川-玉川学園前

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