案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年12月12日水曜日

あの頃の小田急

1964(昭和39)年11月に通勤型4ドア幅広車体のNHE車2600形が入線した翌年1965(昭和40)年の風景。
白に青帯のカラーリングになる前の小田急カラー時代で、電車も沿線風景も昔ながらを残していた。

NHE車2600形  世田谷代田-下北沢   1965年2月

1400形  世田谷代田-下北沢

環状七号線の上を行く気動車  梅ヶ丘-世田谷代田

新聞輸送車1600形 東北沢

多摩川鉄橋を行く1200形+1400形.  登戸-和泉多摩川

特急用1700形の格下車

国鉄ロクサン改造の1800形20m車

幅広NHE車2600形  鶴川-玉川学園

まるで地方私鉄のような沿線風景の鶴川-玉川学園間を行くNSE3100形(昭和38年登場) 

国鉄御殿場線乗入れ気動車5100形5102  鶴川-玉川学園

10 件のコメント:

鉄道青年 さんのコメント...

下北沢・東北沢はなじみ深い地域です。
現在、地下化工事で風景が大きく変わろうとしていますので、50年近く前の光景は大変興味深いです。
でも、昔の写真ですが、どこで撮影されたかがすぐにわかるところもまた、嬉しかったりします。
特に、環状7号線の写真には目が釘付けになってしまいました。

katsu さんのコメント...

鉄道青年さん、
コメントありがとうございました。
小田急の昔は車両のことより沿線風景が懐かしく駅などもっと撮っておくべきでした。
現在の世田谷代田~下北沢~東北沢では地下化工事で地下はかなり出来ているのではないでしょうか。
地下開通の日を境に下北沢駅など今の地上線風景は一気に消滅するのでしょうね。
現在の地上駅も撮っておくと後で貴重な光景になると思います。

Tosi さんのコメント...

はじめまして。
1965年当時私は二歳だったので、御殿場線乗り入れ単行気動車が環七通りとの立体交差を走る光景はかなり珍しく思えます。しかし、最初の四つのお写真の区間は高架化ではなく地下化案が採用され、複々線化工事の開始も高架化区間よりだいぶ後になったこともあり、駅施設や周辺の雰囲気は比較的近年までこの当時と大きくは変わらなかったという印象をもちます。梅ヶ丘と世田谷代田のあいだには若干の土地の高低差があるとはいえ、梅ヶ丘までの高架からいきなりこの立体交差の地点で環七通りの地下に線路をもぐらせるのはあまりエコでないような気がします。それから、複々線化の計画立案当時は予想できなかったことでしょうが、中長期的には東京圏でもやがて人口減少がはじまるのですから、乗客数の増減見通しが楽観的でありえなくなるのは確実で、そもそも「輸送力増強のための複々線化」という発想自体がいまや時代錯誤的になってしまったようにも思えます。小田急地下化後の下北沢再開発・線路跡地利用問題は保坂氏の区長就任以降はいくらかは良い方向に転換しつつあるのかもしれません。
喜多見駅のお写真も非常に懐かしかったのですが、この駅とその周辺は激変してしまって、現在でも変化がほとんどみられないのはカトリック教会(当時は修道院)ぐらいではないでしょうか。

katsu さんのコメント...

Tosiさん、
コメントありがとうございます。この区間を時々通ると今でも昔と比べて地上の変化は少ないようですね。
何年か前にこの区間の工事計画を見てなんでここまでやらなくてはならないのか私はぞっとしました。
今になってみるとこの発想は時代錯誤的に思えるのは私も全く同感です。
私が住む西武新宿線(高架化未着手)では、高架化でコンクリート城壁の駅、駅前ロータリー、駅前スーパ店舗などを区は考えているようですが、この時代にこんな発想は変えねばと思っています。街と鉄道が融和した私鉄地上駅を残すにはどうしたら良いのか、道路に知恵を出す方がずっとエコだと思うのですが。

Cedar さんのコメント...

明後日の選挙結果はまたもやバブル再来の始まりとか。
タワーマンションの間を壁のような高架が貫く姿が近代化、という発想はいい加減にして欲しいと思いますが、そうはならないでしょうね。

Tosi さんのコメント...

まったくおっしゃる通りだと思います。立体交差化が目的なのであれば、道路側で対処するほうがずっとエコです。梅ヶ丘-世田谷代田間の事例でとくに違和感を禁じえないのは、半地下化道路による既存の立体交差地点で鉄道を完全地下化し、しかも高架化区間に直結させているからです。土地の高低差といっても国分寺崖線と比較すればとるに足らないものです。1970年代後半に代々木上原-代々木公園間が開通したときにも高架と地下の直結をかなり不自然と思ったものでしたが、もし山手通りとの立体交差で道路が半地下だったら実現はより困難であったろうと思えます。
Cedar様がいわれるように、いっそう極端な超緩和政策の中央銀行への強要の下での「人からコンクリートへ」という時代錯誤な大逆行を可能にしてしまうような選挙結果が懸念されます。

Tosi さんのコメント...

深夜の投稿ですこしおかしなことを書いてしまったようなのでおわびします。代々木上原駅の高さは井の頭通りとの立体交差や引上線の事情などから説明できると思われ、「説明できる」というかぎりでは「不自然」ではないと思います。この意味では、「不自然と思った」という表現は適切でありませんでした。この箇所で私が言いたかったのは、高架から地下に直接下りたり地下から高架に直接上がったりすることが「無茶なことであるような印象を(1970年代後半当時に)もった」、というようなことです。現在の話なら「エコでないと思った」と言えばすむのですが...
たびたび失礼しました。

katsu さんのコメント...

Cedarさん、
選挙もいよいよ本日ですね。
私もそうはならない事を祈ります。
これからは過去に造った高架などを補修維持していく時代になるのでしょうね。

katsu さんのコメント...

Toshiさん、
代々木上原の工事について私はよく判りませんが、
いずれの工事にしても高低差が凄い工事ですね。
これを無茶な工事と思うのは当然と思います。
何もおかしくないと思いますよ。

Tosi さんのコメント...

「何もおかしくない」と判断してくださったことに感謝します。「不自然」は「説明がつかない」という意味で用いられることが多いので、仮にあのコメントが小田急ファンの方々などの目にとまれば「説明がつくから不自然でない」という反論がありはしないかと杞憂しました。もちろん、「一応の説明はつくが、不自然で無茶と思えること、持続可能性の観点から首を傾げざるを得ないこと」は少なくありません。都知事選を含む昨日の選挙結果もまさにそうでした。軌道線を道路から排除するだけでは満足せず、(高架化か地下化かの二者択一で)鉄道線を地上から無理やり追い出そうとする無茶な計画にも今後ますます歯止めがかからなくなるのではないか心配です(他にも懸念されることは多いのですが...)。Cedar様へのお返事のなかで書かれていた、これからは既存インフラの補修やリノヴェーションによる維持を優先するべき時代ということも、まったくおっしゃる通りだと思います。
繰り返しお邪魔してしまったことをお詫びします。