私が訪れたのは1965年(昭和40年)で5号機が動いていて6は同じ所に無火でいました。重量貨物が主で多量ならば蒸機の方が無理がきいて使いやすかったのでしょうか?2年前全線を歩きましたが周辺の変貌に驚きました。
常夜燈さん、1964年11月にディーゼル機導入したものの、土山駅構内乗入れ認可が1966年4月で、土山線蒸機のディーゼル化が遅れたようです。別府鉄道はかなり後年まで5,6号機が見られたのが幸いでしたね。この辺りは一面田畑でしたが、今では関西の通勤圏で山陽電鉄沿線はかなり便が良いのでしょう。廃線跡を全線歩いての確認は昔との比較が楽しそうですね。
長大編成なのに貫通制動が無いようですね。今では考えられませんね。
ゆうちゃんさん、確かに機関車にはエアーホースが着いていないですね。機関車だけの制動力でコントロールできたのはおおろかな時代と、かなりの低速であったせいなのでしょう。
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私が訪れたのは1965年(昭和40年)で
5号機が動いていて6は同じ所に無火で
いました。重量貨物が主で多量ならば
蒸機の方が無理がきいて使いやすかった
のでしょうか?2年前全線を歩きましたが
周辺の変貌に驚きました。
常夜燈さん、1964年11月にディーゼル機導入したものの、土山駅構内乗入れ認可が1966年4月で、
土山線蒸機のディーゼル化が遅れたようです。
別府鉄道はかなり後年まで5,6号機が見られたのが幸いでしたね。
この辺りは一面田畑でしたが、今では関西の通勤圏で山陽電鉄沿線はかなり便が良いのでしょう。
廃線跡を全線歩いての確認は昔との比較が楽しそうですね。
長大編成なのに貫通制動が無いようですね。今では考えられませんね。
ゆうちゃんさん、確かに機関車にはエアーホースが着いていないですね。
機関車だけの制動力でコントロールできたのは
おおろかな時代と、かなりの低速であったせいなのでしょう。
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