案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2024年4月17日水曜日

発売されました「地方私鉄 失われた情景」

「地方私鉄 失われた情景」が出来上がりました。
4月20日発売ですが、それに先立ち書泉グランデなどでは店頭に並びました。

1960年代の情景は今やそのほとんどが失われ写真や動画やジオラマでしか感じられなくなってしまった。当時の写真を見ると私は郷愁というよりジオラマが目に浮かび、看板、服装、家並みなどがまるでジオラマの小道具のように思えてしまう。そこには無機質ではないあの時代の空気感が漂っている。それが感じられるようになったのは60年の歳月で変化して来た社会のせいなのでしょう。



磐梯山麓のドロ軌道 沼尻鉄道.


横須賀街道沿いを行く 静岡鉄道駿遠線.


良き時代の井笠鉄道 大井村.


漁港がすぐそば 滝駅 北陸鉄道能登線.

昭和27年10月1日現在 客貨事務用鉄道線路図(日本国有鉄道営業局)
全国路線図で青色が地方私鉄で駅名も入っています。



2024年4月11日木曜日

西武国分寺線

2年前の今日4月11日。
緑が撮りたくなって、久しぶりに国分寺線 鷹の台へ。
新緑の玉川上水を歩いてみた。

2022.4.11




玉川上水

野に咲く花

2024年4月7日日曜日

石神井川の桜

間もなく満開を迎える石神井川の桜。
週末には多くの鉄ファンで賑わうことでしょう。


2024.4.3


やっと晴れた今日の日曜日 2024.4.7

2024年3月29日金曜日

「地方私鉄 失われた情景」

「地方私鉄 失わせた情景」内容はこんな感じになります。
TMSに連載した2ページ完結/1路線 だけでなく、見開き写真を多くしてあります。



表紙カバーは表裏がつながったこんな風景になります。



2024年3月18日月曜日

「地方私鉄 失われた情景」発売のお知らせ

鉄道模型趣味(TMS)誌 4月号の裏表紙に発売広告が掲載されました。

「地方私鉄 失われた情景」が4月20日に機芸出版社から発売されます。
取り上げた路線はここに挙げた計44路線です。
発売まで1ヵ月ありますので内容の紹介は徐々にお知らせして行きます。 



 6年前の写真集「地方私鉄1960年代の回想」上下巻に引き続きまた名取編集長の編集で「地方私鉄 失われた情景」が出来上がりました。今回も時代は1960年代です。

 TMS誌に2019年から2022年まで3年間連載した記事を1冊に纏めるだけでなく、再編集して更に新たな路線を加え計44路線として纏めてあります。


国鉄紀勢本線藤並駅のホームに降り立つとそこに有田鉄道の粗末な出札小屋と簡易な乗換改札口があった。改札口の先に停車していた有田鉄道キハ210はよく見かける元国鉄42000形の顔で、赤ん坊を背負った乗換客などが乗車すると金屋口へ向け発車して行った。
藤並 1964年夏





2024年3月15日金曜日

「安芸線探訪」 安芸線跡を歩く

本の紹介です。

表紙に終点「あき」、裏表紙に起点「ごめん」の行先表示板を配置した「安芸線探訪」改訂新版。高知市のリーブル出版から全国書店で4月1日頃に発売開始予定だそうです。
訂正:Amazonは予約開始でした。

土佐電気鉄道安芸線の廃線跡の探訪で、帯に書いてあるように全24駅の現在と数多くの遺構、S37年の国土地理院の航空写真12駅、現役時代の安芸線の写真など。
既にRM LIBRARYなどでよく知られた歴史&車両の解説ではなく、上質な企画・デザインで安芸線が走った時代と今が味わえる書でした。
 







後免町で見た安芸線.1969.5.5


安芸線.御免町-御免

阪神一色の時代を迎えていた安芸線.後免町


軌道線を走っていた安芸線乗り入れ「あき」行き急行.

2024年3月5日火曜日

鹿島鉄道の春

そういえば3月は花咲く沿線を走った鹿島鉄道.2007年3月


八木薪の土手に登って撮ったキハ714.浜-八木薪 


霞ヶ浦湖畔.玉造町-浜 


春らしく所々に花が咲く沿線.玉造町-浜 


適量の菜の花が自然でよい.玉造町-浜

2024年3月1日金曜日

今朝の富士山

今朝は暗雲の下に雪を被った丹沢から多摩へかけての山並みが美しかった。

しかし、次第に雲が南へ流れ富士山が全容を現す頃には輝きが薄くなり(写真)

しばらくして真っ青な空になると何時もの風景になって行った。


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2024年2月20日火曜日

雨上がりの耶馬渓3


 撮影日:1967.3.5


羅漢寺駅のキハ101やまばと.


増水した山国川沿いを行く耶馬渓線の線路に現れる列車を待つ。




梅が咲く雨の耶馬渓.




景観の下にやって来た小さな気動車.


2024年2月12日月曜日

雨上がりの耶馬溪2

耶馬渓線の沿線でハイライトとなる羅漢寺駅は今や跡かたもないようだ。羅漢寺の駅および周辺の写真を並べてみます。

山国川に沿って走る列車が耶馬渓の景勝地に入ると、まもなく羅漢寺の駅に到着する。走ってきた洞門駅側を振り返ると「青の洞門」の上にそびえ立つ岩壁が迫り、鉄道(地方私鉄)と絶景が見事に備わった素晴らしい駅であった。

羅漢寺駅から、雨上がりの山国川沿いを上流へ歩いたが人の気配が全く無かったのが印象的。きっと観光客はバスでやってくるのだろう。沿線でカメラを持った鉄道ファンに出会うこともまずない時代であった。
撮影日:1967.3.5

羅漢寺駅へ引き返す手間で撮った1枚。左手に見える駅ホームと駅前の味わい深い民家、そして背後にそそり立つ耶馬渓の競秀峰。
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羅漢寺に到着した混合列車。羅漢寺から中津方面を見ると、耶馬渓の山国川に面した競秀峰が列車の背後にそそり立つ。


羅漢寺から引き返す車窓に「青の洞門」が見え、その先で山国川の鉄橋を渡る。
洞門 - 羅漢寺

青の洞門(隧道、トンネル)

羅漢寺を出た気動車の車窓に鳥居が見え、その向こうのに山国川に沿ってそそり立つ競秀峰とその裾にある大分県指定史跡 全長約342m 「青の洞門」が見える。洞門 - 羅漢寺



雨上がりの山国川橋梁を渡ると洞門の駅がある。沿線の民家は茅葺き屋根が多い。
 羅漢寺ー洞門
 

2024年2月11日日曜日

雨上がりの耶馬渓1

増水でよくニュースに出る大暴れする山国川を行く大分交通耶馬渓線.

耶馬渓の絶景と山国川が流れ青の洞門がある羅漢寺は魅力溢れる土地であった.

観光客もいない雨の耶馬渓はひっそりと静まり返っていた.

学生時代最後の撮影で、この翌月から社会人となったが社会はまだ週休1日の時代であった。

 
冠石から羅漢寺へ向かう耶馬渓線.1967.3.5
雨で増水した山国川.

2024年2月5日月曜日

庫内風景

どこの車庫や車両工場でも庫内風景は楽しいもので、
定期検査や改造でバラバラになった部品が並べてある。
完成車と違ってこんな光景の方に機械の美しさを感じてしまう。


加悦鉄道の庫内風景.
DB201 (昭和28年森製作所製) 1962.7.31




淡路交通の庫内風景. 1965.8.2
様々な改造や自社開発を手がけて来た魅力ある地方私鉄の車両工場であり、並べられた中古台車の部品一つ一つに惹きつけられた。工場の中でスポーク車輪がひときわ美しく輝いていた。 

 貴志川線 伊太祁曽の小さな車両工場.  1965.8.4
庫内に休むモハ202と奥には改装中の小型電車らしき2両が見える。この車両工場もガソリンカーの電車化改造を数々やってきた。

お馴染みの野上電鉄の日方車庫も凄い.1965.8.4
数々のガソリンカーの電車化は見事でその後、関西大手私鉄の払下げ車をネタに手持ち中古部品を組合わせて多くの野上仕様に仕上げてきた日方車庫。
庫内には元阪神869(→野上モハ51)の車体がマルーン色のままで置いてあり、あちこちに外された様々な電動機が積み上げられていた。この車両も他の譲受車の中古台車を流用して登場したようだ。  

2024年2月4日日曜日

福島模型製作所のOB会

昨日は福島模型製作所のOB会でした。
学生時代に旅費調達で福島模型でアルバイトをしましたが、そのアルバイトを共有したOB達が8人集まった。各人アルバイトした時期が1964年~1979年の間で異なるが、私が練馬にあった福島模型製作所でアルバイトをしたのは60年も昔1964年のことであった。


持ち寄った作品のお披露目.


テーブルに置かれた見事な古典蒸機の作品、写真をどんなに拡大しても粗が出ないので写真だけでは大きさが分らない.


これで大きさが まさかのNゲージ1/150と分かる.


昨年、池袋の個展でショウケースに並んだ無数の古典蒸機から数台が披露された。元々が小さい古典蒸機をNゲージ1/150でスクラッチ・ビルドとは驚きです。