案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2024年6月24日月曜日

竜ヶ崎線の貨物列車

曇天のある日の竜ヶ崎線。4号蒸機が盛んに活躍していた時代。
この5年前の1958年頃までは2軸客車を連結した客貨混合列車が走っていた。
フィルム代が高かった時代に私が5枚連続で撮ったのはとても珍しいことで、よほど感激したのか。

1965年12月 ディーゼル機関車DB11が入線し蒸機と交代
1971年4月 貨物営業廃止
1971年10月 4号蒸機廃車

撮影:1963.8.17


これに2軸客車を連結すれば素晴らしい客貨混合列車となる.






2024年6月12日水曜日

縦位置画像 ナロー3題

 縦位置画像はスマホや本には収まりが良いが、PCで見る時は使いにくい。


最終日の遠鉄奥山線  1964.10.31
浜松市郊外の住宅地に溶け込んでいた電化ナローの奥山線。最終日の列車にカメラを向けるのは地元の人くらい。1964(昭和39)年はまだ鉄道ファンが地方路線の最終日に殺到するよう時代ではなかった。


井笠鉄道  北川 1967.3.8
北川駅から矢掛線が出ていて本線と並ぶ光景が堂々としていた。大軽便らしいこんな光景もこの翌月には矢掛線が消えた。


越後交通栃尾線 下長岡 1975.3.8
1975年3月に廃線となった栃尾線の最後の時代。新車両工場が建ち古典客車牽引から総括制御編成の近代化ナローに脱皮していた。そんな努力も虚しく大量の車両が一網打尽に消えた悲しい栃尾線。

2024年6月3日月曜日

みすぼらしくて美しいもの

 つげ義春はひなびた所を好む傾向があり「みすぼらしくて美しいもの」に惹きつけられる性分らしい。「東京人」2024⑥ "つげ義春と東京"より

1960年代の日本には「みすぼらしくて美しいもの」が各所にあった。つげ義春はそういう土地を求めて旅をしたのだろう。

つげ義春31歳の時に小倉と熊本の女性に会いに九州へ蒸発の旅をしたのは1968(昭和43)年で、その時の熊本駅前はこんな風景であった。

私がこの時代の街並みを「みすぼらしくて美しいもの」に感じたのは撮影後40年程過ぎてからであった。


長いこと藤崎宮前とばかり思っていたが、この街並みは熊本駅前であった。寿司店、みやげ店.大衆食堂、駅前旅館等がならぶ1967年の熊本駅前通り.1967.3.6

晴れの日の熊本駅前 1967.3.6
熊本駅構内から立ち上る蒸機の煙.



雨の熊本駅前   1967.3.4


雨の熊本駅前.


こちらは堂々として美しい熊本駅の列車.