案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2021年3月6日土曜日

最後の頸城鉄道

 廃線が近い飯室駅。
素晴らしい情景の駅であった。

部分廃止後、残された百間町~飯室間を2年と7ヵ月往復していた。
DBやDCが牽く列車は消え、ホジが単行で往復するメルヘンチックな世界があった。

撮影:1970.11.2

飯室駅




並走する舗装道路は直江津行バスが走っていた。

飯室駅の行止まりに放置されていた車両。


鵜ノ木駅の時刻表

2 件のコメント:

esehoku さんのコメント...

国鉄黒井駅から百間町、飯室から浦川原までが廃止されて、中間部分だけ取り残されながらも最後の頑張りを見せていた時代ですね。
飯室駅の行き止まり放置車輌は、元は終点まで延びていた線路の名残部分に置かれたものでしょうか?
昔は結構こういう風景があったのですね。
質問ばかりで恐縮ですが、珍車として?有名なホジ3は、客扱い扉が片側だけにしか無かったような事が書かれたものをどこかで見たのですが(間違っていたらすみません)、どうだったのでしょうか?
両側面の状態がわかるものを見る機会がなかなかないので、ご教示いただければ幸いです。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
行止まりの線路はその通りで部分廃線以前は終点まで伸びていた線路です。
ホジは両側に客扱い扉がありました。
れっきとした地方鉄道なので開拓軌道のような車両ではありません。
ホジ3の写真を近々に掲載してみます。