案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年8月27日火曜日

加南線 河南~山代間の風情

北陸鉄道加南線のロマンスカーから、広島電鉄のブリルの話になり、さらに加南線に戻って元遠鉄クハ1600形のブリルの話になり、そしてクハ1600形が走っていた「河南~山代間」の風情をとり上げてみたくなりました。

この区間の風景は平凡過ぎて大聖寺川を渡る1枚のみを写真集に使いました。平凡過ぎる田園風景も今ではすっかり変って驚くばかり、遠い昔の田園風景を何枚かアップしてしてみます。
こんな鉄橋や木立と桜並木がある築堤を行く田園風景はモジュールやシーナリー・セクションの題材として如何でしょうか。

撮影:1964.12.29
河南を発車した電車が大聖寺川の鉄橋を渡って山代へ向かう。

木立の脇の築堤を電車は山代へ向かう。
この辺りに大きく立派な山代温泉施設をど~んと建てたようです。

桜並木を背にブッシュが茂る築堤を行く。

築堤の先に見える建物は温泉旅館か。

その先で小さな凸凹路と並走する。
頻繁にやって来たクハ1603+モハ3301は河南~山代間を区間運転していたのでしょう。

雨上がりの温泉町山代に新動橋行きが到着する。

6 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

このあたり、3年ほど前に、母親連れてタクシーで走りましたが、旧山代温泉駅跡以外、全く面影はありませんでした。大聖寺駅跡は空き地になって残ってました。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
ここに限らず日本のどこへ行っても全く昔の面影はないのでしょう。
山代温泉に行ったわけではないですが、
この時代と今とでは山代温泉が別物になってしまった感じがします。

chitetsu さんのコメント...

あまりにも平凡な風景というのが減ってしまいましたね。
今の郊外のバイパスの風景もそう思える時がいつかは来るのでしょうか?

katsu さんのコメント...

chitetsuさん
今や地方各地まで開発が進み、これまで気にも留めなかった平凡な風景に目が向くのは時代がそうさせるのでしょう。それは模型にしてみたいシーン。
今のバイパスの風景を模型にしてみたい、そう思えるのはこれから想像もつかない日本の風景に生まれ変わった時なのでしょう。

esehoku さんのコメント...

山代温泉に限らず温泉地は、この当時とは風景から風情、目的や客層に至るまで、何から何まで変わってしまったと思います。
日本風に解釈されたリゾートに踊らされ、バブルに浮かれ…その勢いが失せるや、廃墟の群れになってしまったのはあまりにも残念という街が多くて、これは決して「昔は良かった」という感傷だけではないと思うのです。

それにしても、冬場とはいえ、画像のあの辺りの場所、よくあんな所へ入って撮られましたね。
河南から黒瀬〜帝国繊維前の廃線跡を歩いた時に「あこ(あの辺)は熊が出るんやぞ!」と後から聞いて青くなった事は確か前に書きましたが…画像の辺りも「マムシが出る」と聞きました。

今、山代駅のあった手前は並行する道路が舗装されて残っていますが、加南線があった頃を知っていると、面影を感じる事ができます。

esehoku さんのコメント...

連投すみません。
昔、無謀にも河南〜山代間のジオラマを作ろうとした事がありました。
見よう見まねで、確か築堤を紙と木工ボンドで型を作り、石膏を塗ってからプラスターナイフでならし、鉛筆の削りカスで線路端の雑草を作り、ライケンで草ボーボーの地面や木を作り…Nのスケールでやってみたのですが、リアルにしようとするとそれでもスペースが足りず、それ以前にテクニックが追いつかなくて挫折しました(笑)。
いつか雪辱をと思っています。