案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年8月24日土曜日

小さなブリル台車 2

北陸鉄道加南線の電車で気になったのがこの小さなブリル台車です。

遠州鉄道から車体のみ購入したクハ1602と1603は、北鉄の手持ち台車を次々と交換して行ったようだ。車両竣功図によれば元々は日車D-16 軸距2200mmであったが、こんな極小軸距のブリルに履き替えた実にユーモラスな時代があった。

撮影:1964.12.29
加南線クハ1603のブリル  軸距1219  

加南線クハ1603  山代

加南線のクハ1603(元遠州鉄道クハ) 河南-山代
極小軸距のブリルを履くと車体とアンバランスな台車で実に魅力溢れる電車となる。

大聖寺川を渡って草ぼうぼうの区間を行く。河南-山代

こちらは加南線モヤ503のブリルだが1ランク上?と推定される(軸距1473? )

電動貨車モヤ503 その後EB221になる。

2019年8月20日火曜日

鉄道模型趣味誌の連載記事 第3回

まもなく発売の鉄道模型趣味誌9月号。
「地方私鉄 失われた情景」シリーズの第3回は北陸鉄道浅野川線の内灘駅を取り上げました。

浅野川線内灘に関してはこれまでに現地の歴史を知る皆さんからブログコメント欄に様々な情報をいただきました。特に黒ユリさんからの内灘闘争があった話は私の内灘への関心が一気に拡大しました。海水浴場や遊園地があった平和な時代と戦後の試射場反対闘争があった時代が絡み合った内灘はとても書ききれない歴史を秘めています。

今、模型はモジュールやセクション製作のための材料の販売が大変な勢いで、これらを使って楽しめる環境が整ってきました。こんな内灘海岸まで海水客を運んだ平和な時代をとり上げて情景模型に作りこむ等すると奥深い模型が楽しめるのではないでしょうか。

海辺に延びる線路を含め内灘駅の構内配線図を掲載しました。


2019年8月17日土曜日

小さなブリル台車 1


私が小さなブリル台車に夢中になったのはこの1枚の写真です。1967.3.7
広島電鉄・宮島線荒手車庫に休む1010形改造車1011+1012。
軸距を極端に縮めた最小クラスのブリル製台車が可愛い。

鉄ピクによれば写真の1010形改は正真正銘のブリル製造ブリル27E-1を履いていたようで、この小さな軸距1219mmブリル型台車は広電1010形、1020形、旧1040形と連接改造後の1040形に使われていた。


8/16から18日までビックサイトで開催中のJAMコンベンションで昨日これを見てきました。広島電鉄宮島線旧1040形。昭和32年に連接車化する前の姿は、小さなブリルと車体が魅力溢れるプロポーションで、実にまんがチックな電車です。模型の車輪径(実物換算)は実物より小さいよう?でプロポーションがよけい強調されている。
よくこんな稀有な題材を戦後カラーリング含めて再現したことに驚かされます。

この16番1/80に使われたYAMA模型のブリル76Eは軸距17mmで実物1219mmに最も近似のサイズ。40年前頃に手に入れた「だるまや」のブリル76Eも軸距17mmでした。


2019年8月7日水曜日

下北沢駅の今

久しぶりに下北沢駅に寄ってみました。
こんな小田急専用東口ができたのですね。
中学時代の思い出多い下北沢駅もついにすべてが消え去った感がある。
北口があったところに今も残る遠い60年前の面影は銀行の建物くらいか。

撮影:2019.8.7
北口が消えて小田急東口になった。ここは小田急専用の改札口であり、以前と違って井の頭線と小田急線を乗り換える場合は中央改札口を一度出る必要がある。 

ここにあった下北沢駅北口は消滅した。
2004年の地下化工事着手から3年後の下北沢駅北口(2007年11月)。あれから12年が経ち今も駅前整備の工事は続く。小田急の工事は今年3月に完了していました。

 北口の象徴であった「下北沢駅前食品市場」は跡形もなく消滅した。