案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年7月15日月曜日

井笠鉄道 くじ場

井笠鉄道が廃線(1971年)になる4年前、くじ場の車庫は廃線ムードが漂っていた。
もう使わなくなった2軸気動車が集められていて、その中に小さなハ15がいた。
写真集「地方私鉄1960年代の回想」下巻の解説編で紹介したハ16と同形で、
単端ジ1とジ2がエンジンを下ろして客車ハ15と16になったようだ。
このくじ場の場面が学生時代最後の写真となった。
ここに集められた車両はその後まもなく解体が進められたようだ。

撮影:1967.3.8

ジ14 ホワ2

旧神高鉄道の2軸気動車ジ15、14(1931年日車製)に比べると格段に小さいハ15。

ハ15

北川にいたハ16 1962年7月

支線神辺線や矢掛線を走った旧神高鉄道のジ15とジ14。

ホト4

くじ場の車庫 

くじ場

4 件のコメント:

にぶろく さんのコメント...

私がくじ場の車庫を訪問したのは
この写真の10年後。
廃止から既に6年経っていましたが
ホジやボギー客車がたくさん残っていました。
でもハ15や片ボギーはいなかったですね。
見たかったです。

katsu さんのコメント...

にぶろくさん
写真の10年後ということは1977年で、1980年のくじ場車庫火災の前でしたか。
この火災にも拘わらず、井笠は多くのボギー客車やボギー気動車が保存されているのは幸いでした。
火災前にくじ場からどこかへ移動してあったのでしょう。
写真の2軸気動車や2軸客車は写真撮った年の夏に解体されたようです。

にぶろく さんのコメント...

あの放火でホジや客車は
かなり失われたようですね。
今日、多くの客車が保存されているのは
西武山口線のお陰では?

井笠の2軸客車、気動車は
バリエーションも豊富で魅力的です。
矢掛、神辺線を見たかった…

katsu さんのコメント...

にぶろくさん
西武山口線の経緯をみると、1972年6月に井笠1号機が入線し1973年7月に井笠の客車配属開始
ということで、山口線にどっと井笠の客車が入ってきたのはくじ場火災のずっと前でしたね。
山口線廃止後も保存されてきたのは幸いで、西武山口線のお蔭はその通りですね。