案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年7月13日土曜日

上田丸子電鉄のクハ、サハ

1970年の夏に撮ったクハ、サハを集めてみました。

撮影日:1970年8月
奥からクハ252+サハ28+クハ273+クハ253

元江ノ電の車体を使ったサハ28

元神中鉄道のクハ252

別所温泉駅にいたクハ253 

真田駅にいた2両の気動車崩れのトレーラ。
サハ27+サハ24 

2 件のコメント:

esehoku さんのコメント...

この時代の上田丸子電鉄は、気動車改造のクハ・サハが百花繚乱だったのですね。
私事ですが、旧型車の最晩年(昭和57〜60年)の頃に車の免許を取る事ができ、長野へ何度か行く事があり、その際に上田に立ち寄りました。ちなみに車は中古の初代アコードで、千曲川の川縁で車中泊をしたのも懐かしい思い出です。
閑話休題といったところですみません。
別項で『平面ガエル』の事を書きましたが、katsu様にとってはこの頃は既に、あまり写欲をかきたてられる車輌も少なくなっていたのでしょうか?
上田原の車庫には雑多な旧型車が並び、元長電の川崎造船所モハとか、元東急の通称「グリーン車」なんてのも。気動車改造のクハもギリギリ残っていました。
撮ったのがアサペンのオート110だったので、今はプリントが難しくなってしまいました。

katsu さんのコメント...

esehokuさんが訪問された1985(昭和60)年あたりはまだ昇圧化前で魅力があふれていたと思います。
私が上田を訪問した1970年から15年以上も魅力が続いたのに私は二度と訪問することはありませんでした。
1967年からサラリーマン生活になって私鉄めぐりの関心が薄くなり、訪問したのは撮り残した中堅路線や末期の頸城、尾小屋、栃尾くらいでした。今になれば別所線や真田傍陽線も魅力的ですが当時は後悔しないための義務感で撮ったようなものです。1970年代~1980年代にまだまだ魅力路線があったのに残念なことをしました。
私も1971年からマイカー利用で撮影環境がよくなったにもかかわらずクルマを使った撮影は数件程度でした。